飯島愛 「あの娘はハデ好き」
飯島愛がまだ他人に尻を見せるのを仕事にしていた頃、「あの娘はハデ好き」という歌を歌っていた。こんな感じの詞だ。
毎日 朝は弱い
男にはもっと弱い
流行りモノには敏感
お勉強 トンチンカン
遊ぶだけならば都合がいいけど
親友にはなれない
彼女が笑った
あの娘は派手好き
友達がいっぱい
だけど入院したとき
来たのはママだけ
所詮、頭と股のゆるい、AVあがりのゴミくずタレントだろ? そんな風に、彼女を小馬鹿にしたような、舐めきった詞だ。まるで、秋元康あたりが書きそうだが、しかしこの作詞をしたのは、厄介なことに、当の飯島愛本人である。
彼女の最大の不幸というのは、場を客観できてしまう才能に異様に長けていた――しかし、それでしかなかったところだと、私は思う。
エロい、しかし蔑んだ眼で見る大人たち、男たちに対して、「どうせ、あなたたちにとって、私ってその程度でしかないんでしょ」と、わかっていて、それでいて、その役割を演じてしまう。
彼女は、世に出て何かをなそうという意志はそもそもなかったのだろう。深夜番組で尻を見せるのも、バラエティー番組を小器用に回すのも、「周囲に都合よく使われる」という点においては、彼女にとってはあまり変わりはなかったのかもしれない。
だから、テレビに進出した頃から芸能界を辞めたいと云いつづけた。そして半ば強引に辞めた。
ちなみに「あの娘は派手好き」は、以下のように終わっている。
あの娘はハデ好き
いつも楽しそう
だけどクリスマスの夜
寂しくすごした
自虐なのだろうか。自己成就なのだろうか。まるで内田春菊や岡崎京子の悲惨な漫画の世界のまんまで、なんだかわたしは居心地が悪い。