加藤和彦とよしなしごと

 加藤和彦が死んだことで、一週間近く、ずっと考えているのだけれども、うまく言葉に出来ない。ただ、最近、死に様というのは、その人がいかに生きたかというのを象徴していることなのだなと、よく思う。そのひとつとして、加藤和彦の自殺も、すとんと腑に落ちるようなものを私は感じた。
 彼のスタイリッシュで貴族趣味的といってもいい音楽のその裏には、いつも群衆からはぐれたところでぽつねんと佇む孤独の気配がいつも漂っていた。「うたかたのオペラ」の「50年目の旋律」、「ベネツィア」の「水に投げた白い百合」などがそうだ。
 さらに誤解を恐れずにいうならば、彼の音楽そのものが虚無であったようにも思える。
 フォークを端緒にロック・テクノ・レゲエ・ジャズ・ボサノバ・クラシックなどなど、バンドごと、時代ごとにコンセプトごとに変幻する彼の音楽――それは常に時代の半歩先を読み、後の世代に様々な影響を与えた作品ではあったのだけれども、ざっくりいえば、それは時代のごとの洋楽のシーンに即応し日本化したもので、まったく自らの内面から滲み出るものではなかったように思うのだ。
 そういう意味合いにおいては彼は筒美京平に近しいタイプの音楽家なのではと思っている。もちろん、それは彼の音楽的功績においてなにひとつ傷にはならない。
 しかし自らの音楽の限界を感じて自死するとの遺書を知ると、彼もまた夏目漱石らと同じように西洋と日本の狭間の虚無の淵に落ちていったようにも、また思えるのだ。
 そしてそれは、ポップスを作り出す、愛する日本人の誰しもが隠し持っている宿命的な虚無にもまた、思える。

 ま、とはいえ、本当のところは、金銭的な逼迫や病気などの肉体的な困難もあったかもしれないわけで。そんなご大層なものではないのかもしれない。けれども、人がましく、泥臭く、地べたを這いつくばってでも生きるよりも、高雅に自死するほうが、彼らしい。彼の美意識に則るのならば、ここが幕引きとおもったのだろう。

 もうひとつ、あるCFのこと。
「モーレツからビューティフルへ」
 1970年に彼が出演した富士ゼロックスの名テレビCFだ。
「これからはただがむしゃらに頑張るのではなく、ゆとりや自由や贅沢を楽しむ時代ですよ」
 そのように、彼はマス向けてメッセージを放った。それは60年代の高度経済成長期から次のステージへと日本全体が向かう、象徴的CFとなったわけだけれども、結局その後の日本は、「ビューティフル」とは名ばかりの富とこころを乱費するバブルへと辿りつく。
 そして加藤和彦もまた自らの求める「ビューティフル」へ向けて、豪奢に優雅に創作しつづけ、そしてその末にこのような形で自らを終えたわけである。そこに日本のひとつの時代の終焉を感じたりもする。

 ――と、とりとめのなく書いてしまったが、特に意味はない。何か言葉にしないと按配が悪いのでここに残しておく。