高橋鮎生(AYUO) 「Songs from a Eurasian Journey」

 97年作。これは凄い。音楽による文明論、ユーラシア幻想音楽史観といってもいい力作。参加ミュージシャンは、ピーター・ハミル、デビット・ロード、EPO上野洋子ら。
 日本に現存する最古の楽譜は東大寺正倉院に眠っている、という。そこには、中国の隋や唐をはじめ、中央アジアペルシャなど、7〜8世紀のユーラシア大陸の様々な宮廷音楽が収められている。
 それらの楽曲を、従来の雅楽という形を一切取り払い、作家的創造力でもって現代的に再構築している。
 ケルトに始まり、東欧、トルコ、ペルシャ中央アジア、中国、日本に至るまで、ユーラシア大陸の西のはじから東のはじに至るあらゆる音楽が、この一枚にはミクスチュアされている。
 日本雅楽の「越殿楽」とドイツの「カルミナ・ブラーナ」を融合させた「Etenraku Jig」、中国・唐代に譜面の残っている「弊契児」をベースにアイリッシュアレンジを重ねた「Froating Dream」など、それらは本当に意外なクロスオーバーなんだけれども、決して悪趣味に陥ってはいない。それは、作者に音楽と歴史に対する達識があるからだろう。

 作者は、古い音楽を手がかりに、人類と文明、その歴史を考察しているのだ。
 今作で取り上げている音楽のベースは、およそ1300年以上前の音楽ではあるが、ある面においては極めてポップで現代的に響くし、またある面においては、はるか過去、古代エジプトメソポタミア黄河文明の音楽とは、どのようなものだったか、そんなことに思いに馳せることもできる。
 小難しいテーマだけれども、耳心地が良く、実にイマジネイティブでファンタジック。まるで剣と魔法のおとぎ話を読むように、耳に楽しいのだ。

 歴史の縦糸と地理の横糸の中の、ある一点にわたしたちは暮らしている。そして、わたしたちの文明は実に融通無碍で、国家や民族という枠組みをあっけなく溶解して、色んな方向へ向けてお互いを浸潤しあうのだ。
 そのようにして音楽もまた風媒花のように、人伝いに口伝いに、大陸の長い回廊の上を、実に自由闊達に漂い、その土地土地で根づいていく。その様子がこれらの音から確かに感じ取られるだろう。
 世界に散らばる神話にあらゆる相似性が見られるように、音楽もまた根幹にあるものは同じなのだ。


  そして、歌は何千年も歌われつづけた
  夢のように、夢の中からわたしたちの耳の中に跳ね返る
  昔、遠き異国で別の言葉で歌われ
  今も世界に響いている

  不思議だとは思わないか
  歌のように取るに足らないものが
  こんなに長く、宝のように残っていることを
  その歌をはじめて聞いた帝国が滅んでも
  歌は広まり、生きつづける

  (「Air」 ピーター・ハミル 詞/原曲は唐代「昔昔塩」)


ちなみに高橋鮎生のお父さんは、ピアニストで様々な音楽論の書を残している高橋悠治氏。学者肌の音楽家というところは、実にお父さん譲りです。