和田アキ子「パークアベニュー7.PM」
和田アキ子で一枚をあげるとしたら、これ。78年発表の10周年を記念したアルバム。
78年の和田アキ子といえば前年に離婚、またこの年の3月には「うわさのチャンネル」降板により日本テレビと数年間断絶、さらにこの年を最後に紅白歌合戦からしばらく落選するなど、公私共にツキに見放され始めてきた時期。
しかし、和田アキ子は、ここで歌手としてぐっと踏ん張って、いい仕事をしている。テレビの枠の中で演じていた「ゴッド姉ちゃん」「女番長」といったレッテルを取り去り、さり気なくいい歌を聞かせる和田アキ子の姿がここにはある。「いろいろあったけれども、私は歌手。歌で頑張る」そんな腹の座った彼女の姿からは艶っぽさすら感じる。じっくりと、しっとりと、成熟してゆく和田アキ子。
季節は秋から冬。時間は黄昏時から真夜中。場所はニューヨーク。舞台の真ん中には中年のとば口に差し掛かり、ちょっとばかり生活ずれした一人の無名のクラブシンガー、といったところか。作家陣は八角朋子、いまむられいこ、竜崎孝路など、若き日の長門大幸もタイトル曲をはじめ2曲担当している。
ピアノの物悲しい旋律から始まる1曲目「初秋」で、あ、この和田アキ子は、あの和田アキ子ではないんだな、ということがすぐわかる。
「真夜中」は夜更けの小さなモノローグが切ない。「あなたにすがりたい」しかし彼女はそれがいえない。タイトル曲「パークアベニュー7.PM」はジャズ的なソフィスケートを感じさせ、黒っぽさと歌謡曲のいいさじ加減が和田アキ子ならではという一品。「恋に溺れたい、いい女になりたい」女としての側面でここでもも押していく。
ラストを飾るのは「コーラス・ガール」。不器用な生き方しかできない歌のヒロインが和田アキ子の姿と二重写しになる名曲だ。
ペドロ・アンド・カプリシャス「ジョニーへの伝言」、中尾ミエ「片思い」、小川知子「ドライブイン物語」、高橋真梨子「もしかしたら」などの一群にあるといえる、70年代という時代の空気だからこそ生まれた、空の高く、思いの大きなスケール感のある佳曲、この一曲だけでもこのアルバムは聴く価値がある。
今井美樹「Dialogue -Miki Imai Sings Yuming Classics-」
今井美樹のオリジナルに対する愛と敬意、またそれを咀嚼し自らの血肉しきったところに彼女のボーカリストとしての才能を感じずにはいられない。
冒頭は「卒業写真」や「中央フリーウェイ」など、公式見解的な曲が並ぶが、後半から次第にディープに、曲順で言えば「人魚になりたい」以降が、今井美樹が一番愛するユーミンの世界であり、自らのものとしたしたい世界なのだろう。ユーミンがはじめてポップスフィールドに持ち込んだ、社会人の女性の恋愛模様とその繊細な心の襞……「retour」までの初期今井美樹の世界のお手本となったのがここなのだろうが、それを今井美樹は「そう、これ、わかる」心の奥でうなずくように歌っている。
郷ひろみ 「スーパードライブ」 (79年12月発表)
ニューヨーク録音。79-80年はジュディオング、久保田早紀と海外旅情戦略を敷いていたCBSソニー酒井班。
ひろみにはアメリカ・ニューヨークをあてがう。これがドンハマり。ターニングポイントとなった一枚であり、アルバム曲でありながらベスト盤収録曲やライブ披露の多い曲が目立つ。ニューヨークを舞台とした歌謡アルバムとしては、中森明菜の「CRIMSON」と双璧だ。
以後、ひろみはプライベートでも、結婚だ離婚だと何かあるたびにNYに足を運ぶことになる。
サウンドはディスコ路線、全編曲が萩田光雄で、作曲も数曲も担当しており、サウンドプロデューサー的ポジションだ。萩田のサウンドメイクの幅広さに舌を巻く作品でもある。他作曲は、林哲司、菅原進、芳野藤丸、網倉一也。演奏は当地の24丁目バンド。作詞は竜真知子と岡田富美子で分担し、これは女の描く男のハードボイルドといったところだろうか。
アルバムとしては、同じく酒井班の山口百恵のロンドン録音「ゴールデンフライト」、ロス録音「L.A. Blue」と同工だが、どんなサウンドあてがおうと内省的でしっとりとあやしい東洋の歌謡の世界に深々とおちていく百恵に対して、ひろみはあっけらかんと洋楽化してしまう。
以降のひろみのアルバム「Magic」「PLASTIC GENERATION」「アスファルトヒーロー」はこのアルバムの延長、4部作といってもいいひろみ和製洋楽化路線の名盤群だ。
【刺さる一曲】
「Wanna be true」……冒頭「乾いた雨が落ちてきた」。この掴みで想像力が一気に広がる。乾いた雨って何? 歌は都会の青年の孤独と焦燥の世界。「ひとり暮らしはまるでガム/すっかり飽きてしまったよ」吐き捨てるように歌うひろみ。つのる焦燥はサビの「Wanna be true」の咆哮で爆発する。スリリング。作詞・岡田富美子、作編曲・萩田光雄。
「哀愁ニューヨーク」……ひろみ版「勝手にしやがれ」。恋人との別れの朝。女はシャワーを浴び、朝食を摂り、キスひとつでさっそうと部屋を出て行く。もう二度とここには戻らない。男は残された手編みのセーターに苦笑する。前しか見ない女と後ろ向きの男の対比。「二人の暮らしはイカしたアドリブ/気づいた時にすべてが終わっていた」男のセンチメンタルがしみったれないのはひろみの声の力による所が大きい。作詞・岡田富美子、作曲・菅原進、編曲・萩田光雄。
「LONELY NIGHT」……アルバムを象徴するラストナンバー。痩せた月、霧雨、アスファルトを叩く靴音、見慣れた寂しい夜更けの街、淋しくなんかないと強がる女とカサノバ気取る男。孤独を慰めあうこともできず、夜はただ更けていく。歌と対峙するようなスリリングなストリングスがまさに萩田節。作詞・竜真知子、作編曲・萩田光雄。
中森明菜「unfixable」
- アーティスト: 中森明菜
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- メディア: CD
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今回はこう。車上のある一組の男女。男が車を運転し、女は助手席にいる。男の運転は荒っぽい、どうやら頭に血が上っているようだ。
信号を無視してアクセルベタ踏みし続ける男に、女は思わずサイドブレーキを引く。おいおい、これ下手したらクルマがスピンするぞ。もしかしたらスピンしたかもしれない。緊張感ある一瞬。
我を忘れて「unfixable」になっている男、それを女は冷徹な眼差しで見つめている。女はその時、男の腹の底を見る。将来を確かめ合ったはずの男女のバッドコミュニケーション。このまま「unfixable」で突き進めば、破滅してしまうのかもしれない。
しかし女は「わたしはfixable」そう確信している。昔の明菜なら、ヤバめの男に引きずられて心中する筋立てとなるところだが、今の明菜は違う。ここがポイント。生命力があるのだ。
彼女は男とやり直すのか、あるいは男を捨てて自分だけでやっていくのか、それは明示されていない。ともあれ、そこにあるのが、クールで芯のある、そして何よりも、生き強い女の姿であることに変わりはない。
もしこの擬似洋楽路線に、安室奈美恵のモノマネ?と思うファンがいたとしたら、明菜をしっかり聞いてなかった証拠だからね、反省しなさい。今回はざっくり言えば「不思議」+「Crosss my palm」+「Diva」。20歳過ぎから今までずっと明菜の音楽でやりたいことのどまんなか本流だからね。
位打ちと佐野研二郎
「位打ち」という言葉がある。貴族や王族が、身分の下の者に身分不相応な地位を与え、自滅に追いやる手段のことを言う。
後白河法皇が、壇ノ浦の戦いでの勝利の後の源義経に従五位下検非違使少尉を与えたのが典型である。以降の彼の転落は、今更語るまでもない。
人は誰しもおのれの器というものがあり、それ以上のものを注げば必ず溢れるわけだが、だからといって、すぐさまその器を大きくしようとしても、それは様々な知見や心の成長とともにゆるやかに大きくなるものであるから、かなわぬ話である。その時はただそのまま零すしかない。
まだ経験の浅い未熟な者――つまり小さな器に、過大な権限や職責を与え、多くの人の嫉妬と注目を集めておき、その水が零れた後には、その失態をあざ笑い、精神的・社会的に追い落とす。それが位打ちである。
しかし、相手を陥れるために仕組んだ位打ちを目下の者が見事こなしてしまったならどうか、これはつまり抜擢であり、彼は一躍時の人、スターとなるわけである。
俗にいう「ピンチをチャンスとした」となるわけだが、これ逆もまた真であって「チャンスはピンチ」ともなる。
全く善意でもって、周囲が大抜擢によるスターを――新たな神輿を仕立てるつもりでいたのが、当の彼がその地位に耐えうることが出来ず早々自滅してしまったらどうか。つまり意図せず周囲は彼を位打ちしたことになる。
良かれと思ってドームコンサート、良かれと思って映画主役、良かれと思って飛び級、良かれと思ってコンテスト優勝、良かれと思って大規模融資、良かれと思って支店長、エトセトラエトセトラ。
逆手となって位打ちとなるものが、最近非常に多いような気がする。少し前では韓流ブームがそうだった。佐野研二郎の一件もそのひとつという気がする。
今回の件、オリンピックのエンブレムのデザイナーという大抜擢をきっかけとして、彼を大々的に売りだし、ブランド化させようという代理店的な企みが根底にあったのではなかろうか。
彼の様々な剽窃も、デザイン業界のみの有名人であったなら、おそらくここまで暴露されることはなかったろう。しかし、彼もまた義経となる道を選んでしまった。
もし身に余る栄誉が与えられたと思ったなら、細心の注意を払うべきである。相手に悪意があろうとなかろうと、それは自らを滅せしめる罠となるかもしれないのだから。
年末年始の明菜様の件/「歌姫4」のジャケット
歌姫4 -My Eggs Benedict- (初回限定盤)(DVD付)
- アーティスト: 中森明菜
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- 発売日: 2015/01/28
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今年の年末年始は、完全に明菜祭りになりましたね。
放送二日前に紅白歌合戦サプライズ出演決定、大晦日当日の新曲「Rojo -Tierra-」先行配信、んでいざ放映されたら「明菜どうなの?」と各所で侃々諤々。
twitterでも言ったけれども、わたしは、歌は大丈夫、テレビとか舞台に出るにはまだ慣れが要るかなと、明菜は昔っから緊張しいだけれども、それがちょっと今回はさすがにきついかな、と。そんな印象(あ、あそこは赤のジャケットは着たほうが良かったかもよ、明菜様)。
とはいえ、この明菜の紅白に長年のファンの間でも賛否分かれたりして。メディアではまだ病が重い説とか、あれは口パクだったとか、都内で録画したとか、またまたゴシップ誌が調子に乗り出す始末。
んで、ここでNHKが緊急スペシャル「中森明菜 歌姫復活」放送ですよ。映ったのはロスで全然元気な明菜様ですよ。精力的にレコーディングして衣装選びしてっていう。マジ、あのゴシップはなんだったのか。
そして「スタンダードナンバー」「長い間」の歌唱に感涙。さらにさらに放送翌日に「歌姫4」から「スタンダードナンバー」「長い間」先行配信開始って。もうね、明菜とNHKとユニバーサルに周りは完全に踊らされまくりですよ。
悪いけれども、明菜ファン装ってイモを引いた人、今回多かったんじゃないかな。明菜がどういう人かよく観察している真のファンならわかるけれども、本気でない人、邪心がある人は馬脚現れたと思う。今回の件、どこの誰が何を言ったか、色々覚えておくといいと思うよ。
いや、こんなに戦略完璧に来るとは思わなかった、マジで。軍師いるね、絶対。
――と、して明菜にしてやられまくりな二週間ですが、「歌姫4」と「Rojo -Tierra-」のジャケットも告知ということで見てみたわけですが、「歌姫4」のジャケ写、これ本気?
この溢るる高速のサービスエリアで売っているコンピレーション感。……しかし、ここでディスるのは。孔明の罠か。今回色々仕掛けてっからなぁ。
多分、エッグベネディクトの写真を使うというのは明菜のアイデアと予想。「歌姫」で駄菓子をジャケット写真で使ったような感じでっていう、あれに近い。
写真ももしかしたら、明菜が撮影したものかもしれない。写真とるの趣味だしね。食べログ的な感じで「可愛い〜」パシャリ。ありうる。
とはいえ書体やその配置などの細かいデザインは、これ、さすがに明菜の意見ではないよね。よね。
←エッグベネディクトの写真を使うにしても、歌姫シリーズなら、こうだろ。ひさしぶりに偽ジャケット作ってみた。
歌姫シリーズのジャケットはやっぱり陽水さんの題字ありきでしょ。
とはいえ。このカフェに流れるコンピレーション風ジャケット、何か種明かしがあるのか、ないのか。
NHKドキュメントで録音風景のあった桑田佳祐「白い恋人たち」が曲目に入っていない所含めて、気になる所。今年はまだまだ明菜様に振り回されそうです。
あ、ちなみに「Rojo -Tierra-」の方は明菜らしいなと。明菜はアートっちいぼやっとしてて何写っているのかわかんない写真、よくジャケットに使うもんね。