位打ちと佐野研二郎

 「位打ち」という言葉がある。貴族や王族が、身分の下の者に身分不相応な地位を与え、自滅に追いやる手段のことを言う。
 後白河法皇が、壇ノ浦の戦いでの勝利の後の源義経従五位下検非違使少尉を与えたのが典型である。以降の彼の転落は、今更語るまでもない。
 人は誰しもおのれの器というものがあり、それ以上のものを注げば必ず溢れるわけだが、だからといって、すぐさまその器を大きくしようとしても、それは様々な知見や心の成長とともにゆるやかに大きくなるものであるから、かなわぬ話である。その時はただそのまま零すしかない。
 まだ経験の浅い未熟な者――つまり小さな器に、過大な権限や職責を与え、多くの人の嫉妬と注目を集めておき、その水が零れた後には、その失態をあざ笑い、精神的・社会的に追い落とす。それが位打ちである。
 しかし、相手を陥れるために仕組んだ位打ちを目下の者が見事こなしてしまったならどうか、これはつまり抜擢であり、彼は一躍時の人、スターとなるわけである。
 俗にいう「ピンチをチャンスとした」となるわけだが、これ逆もまた真であって「チャンスはピンチ」ともなる。
 全く善意でもって、周囲が大抜擢によるスターを――新たな神輿を仕立てるつもりでいたのが、当の彼がその地位に耐えうることが出来ず早々自滅してしまったらどうか。つまり意図せず周囲は彼を位打ちしたことになる。
 良かれと思ってドームコンサート、良かれと思って映画主役、良かれと思って飛び級、良かれと思ってコンテスト優勝、良かれと思って大規模融資、良かれと思って支店長、エトセトラエトセトラ。
 逆手となって位打ちとなるものが、最近非常に多いような気がする。少し前では韓流ブームがそうだった。佐野研二郎の一件もそのひとつという気がする。
 今回の件、オリンピックのエンブレムのデザイナーという大抜擢をきっかけとして、彼を大々的に売りだし、ブランド化させようという代理店的な企みが根底にあったのではなかろうか。
 彼の様々な剽窃も、デザイン業界のみの有名人であったなら、おそらくここまで暴露されることはなかったろう。しかし、彼もまた義経となる道を選んでしまった。
 もし身に余る栄誉が与えられたと思ったなら、細心の注意を払うべきである。相手に悪意があろうとなかろうと、それは自らを滅せしめる罠となるかもしれないのだから。