KLACK

新年気分なところを生々しく不快な話を。

KLACKというビジュアル系バンドがあるイベントで香田証生の殺害ビデオを流し問題になっているという。
パフォーマンス前にあらかじめふざけたフライヤーを配ったりしていたそうで、事務所メンバーを含めた確信犯といえる。

バンジージャンプが好きだからといって紐ナシ、下にエアーマットナシでバンジーする人はいない。死ぬから。サバイバルゲームが好きだからといって、実弾でサバイバルゲームする人はいない。死ぬから。
わたし達はアミューズメントパークのアトラクションのような安全であることが大前提のスリルを楽しみたいのであって、本当の危険なんて味わいたくない。ビジュアル系のスリルだってそれと同じ。
それはライブハウスを出た瞬間に霧散してしまうコンビニエンスな快楽に過ぎないし、それで充分だと思う。そもそも客席のわたし達はそれ以上のものを求めていない。舞台のこちらも向こうもそれをわかってその場の嘘を楽しむ。いつもライブでギターに火をつけるあの人が、いつもギターの練習のたびに火をつけたら練習にならないし、いつも派手なドラミングの末に失神してしまうアノ人が、舞台以外でもいつも失神していたら、周りの人はひとまず病院での精密検査をすすめるだろう。みんなわかっていて舞台の嘘を楽しんでいるのだ。それがエンターテイメントなんだとわたしは思う。
―――その虚構を乗り越えてそれでも残るものがあって、それが芸能の真実だなんていえたりもするけれども、ともあれそれは「嘘である」という前提があってこそである。ただの生臭い現実はドキュメンタリーであって、芸の真実では、少なくともない。


エンターテイメントくそったれのKLACKとそのスタッフが、何らかの意図を持って、社会や体制を本気に敵に回すつもりでこの映像を流したと言うのならかまわないのだが、客席に投げつける豚の臓物や小動物の死骸と同じようにこのVTRを流したようにしか思えないのが、なんとも情けない。
ビジュアル系氷河期に耐えかねたスタッフ達が前後不覚になって迂闊なブッコミをかけてしまっただけという感じがする。
「舞台の嘘」を楽しもうとした客は生臭い悲惨な現実を見せつけられ不快になり、それを虚構の場のためのガジェットくらいにしか認識できない能天気なガキと大人たちは己の思慮の浅さを露呈する。

彼らの愚かさは自分探しの果て知らず戦場に赴いた香田証生と同じようにわたしは見えて仕方ない。その愚かさの責任をとって香田証生が命を落としたのなら、彼らとそのスタッフも業界から抹殺されなくては割に合わない。そうなるべきだ。