今年は終戦60年、日航機墜落事故20年ということもあり、それに関した番組が多い。それらを見るとはなしに流したりするが、そうするとなんとも気鬱になっていけない。生きている私たちと死んでしまった人たちとの間に、何の違いがあったのだろう――などと余計なことを考えてしまう。

私たちの生きている意味がさしてないのと同じように、わたしたちの死にはさして理由がない。私たちは、時折行われる死神主催の抽選会を逃れ逃れてただ生きているだけに過ぎない、と私は思ったりする。ある日突然、「ビンゴ」の声があがり、死の鉞が身を引き裂く。私たちはその時を待っているだけの存在なのかもしれない、と。
ただ、まだ声のかからない私たち。だからこそなのか、先に呼び出された人たちの理由を考えずにはいられない。そこに答えがあるはずなどないのに、後ろを何度も振り返ってしまう。

もしかしたら、私の目は既にリーチがかかっていて、もう呼び声がかかろうとしているのかもしれない。ふと、おもったりする。もう私という物語は最終章なのではなかろうか、と。それはたわいのない妄想に過ぎないし、そもそも私たちはそれを知ることはできない。