本田美奈子よ、さらば

本田美奈子が死んだ。
急性骨髄性白血病。38歳だった。

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わたしは一度だけ実際の彼女に会ったことがある。
とはいえ、彼女からしたら、わたしは数多くの、名も知らずに通り過ぎていった者のひとりにすぎないわけで、それは「会う」というより、ただ「1、2メートルの間近で見た」というにすぎない。

その日、彼女は、あるCDショップの小さなイベント場にいた。彼女は、例え取りあげられたとしてももおそらく数行、数十秒、でまとめられてしまうであろうスポーツ紙やワイドショーの"囲み"の取材に、愛想よく応え、 200人といったら多く見積もりすぎの観客に向かって、新曲を歌っていた。
女優や女性歌手は総じてメディアを介さずに見ると、「こんなにも小さくか弱く、はかない肉体の持ち主なのか」と驚くものだが、モニターを通してでも充分にわかるほど痩せて小さな彼女の体であれば、それは尚のことで、彼女の姿は見ていて痛々しく感じるほどであった。
そんな彼女が歌いだすと、そこに、ふっと、灯りが点ったように歌の空気が生まれた。
「あ、この人は、どうあろうとも、ずっと歌い続けていく星の下にある人なんだな」
私は、そう感じた。

その頃の彼女はとうにアイドルの位置を外れ、ミュージカルを活動の中心に移していたが、肝心のCDリリースに関しては、一定の売上の見こめる状況がそろわないのだろう、滞っている状況であった。
とはいえ、アニメソングやゲームミュージックの一環として、あるいはMDダウンロードによる発売、と変則的ながらも彼女は新曲を披露していたし、また「ミュージックフェア」や「題名のない音楽会」など地味な歌番組に、彼女は、新曲でも自身の過去のヒット曲でもない楽曲を、なにかのデモンストレーションのように番組の隅でひっそりと歌ったりもしていた。そこに、どんな厳しい状況下であろうとも歌手たろうとする彼女の矜持が見てとれてた。

その後も彼女は地道に歌いつづけ、 03年に発売したクラッシッククロスオーバーのアルバム『AVE MARIA』で彼女はようやく時代の風をほんの少しつかんだように見えた。
彼女はデビュー以来ずっと、完全に開花しきれていないというか、大きな未完成のつぼみが残っているというか、そんな可能性がどこか潜んでいるように見え、それが傍から見ていてとてももどかしくもあったのだが、それがようやく見えて来ようかという、そんな大器を感じさせるアルバムであった。しかし、その先を私たちは見ることなく、彼女は病に倒れた。

彼女の残したアルバムでベストは何か、と問われたら「ミス・サイゴン」の成果を受け、94年に制作された渋谷森久岩谷時子プロデュースの『Junction』と私は答える。しかし、これよりももっと大きな何かが残せたように私は思えて仕方ない。それはラストアルバムとなった04年のアルバム『時』のラスト二曲「時」と「この素晴らしき世界」を聞けばわかると思う。
個人的には、数年前「題名のない音楽会」で彼女がやった江利チエミのカバー特集がなんとも良かったので、ああいった戦後直後のジャズの雰囲気を醸し出した作品がひとつ何か聞きたかったなぁ、と、今更ながら思うが、全ては終わってしまったことである。何をいうにも遅すぎる。
冥福を祈る。