北原白秋が読みたい、ふと思った。
しかし、彼の作品が自宅にはない。買いに行くことにした。

近所の大きな古本屋には、漫画や最近のベストセラーは100円で投売りされている。しかし、そうでない作品を安価で見つけるのは、少々ことだ。文庫コーナーを探して、やはりない。
図書館で借りるのも、返すのが面倒くさいし、新刊を買うのも、そういう気分ではない。どうしようか、と、その店の一番奥の天井までつづく壁一面の4mはあろうかという棚の、その一番上、はしごをかけないと取り出せないところを何気なく見ると、ずいぶん昔、昭和30〜40年代に刊行されたであろう函入り上製版の文学全集がずらりと並んでいる。北原白秋の名もそこにあった。
こういったものは値がはるのだろうか。背表紙についた値札を見ると、なんと100円と表記とある。これ幸いと、北原白秋他、萩原朔太郎堀口大學西条八十など、そこにある10冊近くを購入した。

本を開いてみると、感想を送るはがきや、リーフレットなどがまだ封入されていた。この全集を買った者は、見栄でそろえたものの、1度も手にとらなかったのだろう。
切手を貼る部分に「10円切手をお貼りください」と書いてあるのが時代を感じさせる。この本たちは、わたしよりもゆうに10歳は年上だ。そう考えると、とても奇妙な気持ちになった。

古い紙の匂いというのは、それだけで切ない。それは、絢爛な落陽のような白秋の詩によくあっている。
ただ、詩というのは、便箋とか、書きさしのメモ用紙のすみとか、そういうどうでもいいような紙に、ふらっときまぐれに書いてあるようなのが一番いいのであって、こういう函にはいった麗麗しい装丁というのは、ちょっとしゃちほこばって、よくないな。
そんなせんないことをつらつらを考えてながら、ぼんやりと読むとはなしに言葉を目で拾った。
こんな風に日々を過ごしていけるのならいいのだが、なかなかそれは難しい。