浅川マキを聞く。
 今がマキを聞くのにいちばんいい季節だ。
 「こぼれる黄金の砂」や「アンダーグラウド」など、アバンギャルドな80年代のアルバムもいいし、声の衰えを意識しながらそれを逆手に取ったルージーさが決まっている90年代の「闇の中に置き去りにして」「こんな風に過ぎていくのなら」も最高だけれども、やはり70年代に残した作品群がいちばん泣ける。とりわけ「灯ともし頃」「Blue Spirit Blues」は格別。
 もっともっと知ってほしい、後世まで語りつぐべき歌手のひとりだとわたしは思っているが、浅川マキを知る人はあまり多くはない。 60年代末期から70年代前半に日本のアングラ・カウンターカルチャーシーンに足を踏み入れたものは、浅川マキをその象徴のひとりとして記憶しているだろうが、そうでない多くの人にとっては、存在すら知らないだろう。
 わたしが手にしているCDやLPの中で、いちばん入手が困難だったのが、浅川マキの作品だった。現在、オリジナルアルバムは、98年発売の最新作を残して全て廃盤で、過去の作品は自薦ベスト「ダークネス」シリーズ3作に頼るしかない。
 そもそも、マキの作品は再発売にかけられることがほとんどなく、LP時代のものはCD化すらされていないものがほとんどだ。 90年代に「浅川マキの世界」「マキ2」「灯ともし頃」「MY MAN」の代表的とも言える初期アルバム四タイトルがCD化されたが、それもまもなく廃盤となった(――wikiの記述によると、CDの音質にマキ自身が納得いかず、彼女の要請で廃盤になったというが、本当だろうか)。
 端的にいえば、それが現在のレコード業界のマキへの評価なのだろうが、またそれは反面、マキの"今"という状況への評価とも、わたしには思える。
 人が生まれて生きて死んでゆくように、歌もまた、いつしか闇に散ってゆく、それでいい――。そう、彼女は思っているのではなかろうか。
 気がつけば、新譜の発売も、8年もあいている。「夜が明けたら」以来、25年以上、毎年なんらかのアルバムを制作していた(――90年代はプロデュースに傾き自身のアルバム制作のペースは落ちたが)彼女が、これだけの期間をあけている。ただ静かに――。終わりの時を待っている彼女の姿をわたしは思い描く。
 しかし、彼女は、まだ歌っている。その活動は活発とは到底言い難いものであるが、新宿ピットインを中心に、ときおり、彼女はファンの前に顔を出している。それを一度見てみたいと思う気持ちもあるが、一方で、見たくない、見る必要がないという気持ちもまた、ある。なんとはなしに、彼女の歌は、わたしに振り向いてはくれない気がするからだ。だからわたしはまだ彼女の歌う姿を一度も見たことがない。