中川右介「松田聖子と中森明菜」

 幻冬舎新書。11月新刊。タイトル買い。読む。終わる。つまんにゃい。以上。
 80年代のオリコン年鑑と「ザ・ベストテン」チャートブックと「魔性のシンデレラ 松田聖子ストーリー」と「中森明菜 炎の恋に生きる女」をまぜまぜして、そこに著者の余計な自意識をトッピングして、下手な文章でくるんでみました、という一品。
 山口百恵の退位によって突然宙に浮いた歌謡曲の王位継承権をめぐる若きふたりの歌姫の五年間の相克を追う――という作りになっているが、視座が定まっていない。アルバム・シングルなど生まれた作品におくのか、歌手本人の実存におくのか、あるいはふたりのゴシップジャーナリズムの歴史におくのか、焦点がボケボケ。タイトルが「聖子と明菜」と対立になっているのに、そこへの切り込み方もぬるすぎる。
 内容も90年代初頭には既に語られていたことばかりで新しい切り口や新しいトリビアはなにひとつないし、著者の聖子や明菜、あるいは歌謡曲に対する情念も文章からあまり感じられない。
 いいたいことがいまいちはっきりせず、そのくせ話の随所で作者のどうでもいい知識の退屈な披瀝に横滑りするあたり、この人はキモオタさんなんだなぁ、お友達にはなりたくないタイプだなぁ、と思うが、ただそれだけ。
 いちいちこと細かなランキングチャート推移を解説したり、また当時の歌謡祭の結果を記述していたりといったそれらがすべて書き方が悪く、どうでもいいところが多く、原典はもとよりネット上に潤沢に揃っているそれらの二次資料に比べてすら見劣りがする。よって資料的価値も薄い。

 創作において必要なのは、知識と霊感。
 どれだけ素晴らしい情報を潤沢にそろえたとしても、霊感の乏しい作り手は模倣と知識の披瀝に終わるし、どれほど豊かな感受性と表現力を持つ作り手であっても、ある程度の取材や学習をして一定の情報を得ていないと、誰の共感をも呼び起こさない独り善がりの"電波"なものになってしまう。
 こんな当たり前のことを改めて痛感した次第。
 自分も気をつけよ―っと。