ってわけで、帰ってきたよ。

雑然としたままのPCのメモ帳を整理していたのだけれども、突然なんだか警句めいた言葉が書き連ねてあるところに辿りついた。

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偉大は内へと語り、凡庸は外へと語る
小人に偉大さは計れない
自分の狭い尺度ですべてを計ってはいけない
気が小さい人ほど、尊大に振舞う
被害者だと喧伝するものは本当の被害者ではない
心の鏡の壊れている者は自分も他者も見えない
羨望は人を醜くする

うーん、なんだこれは。なにがあったんだ当時の自分。
さらに深いところを探索する。

「おれは体育会系だから、年功序列には厳しいよ」
「うん、それで? だからあなたを丁重に扱えっていうこと? 馬鹿じゃない?」
あなたが何にプライドを持っていて、何を自らの教条としているかは知ったことではないけれども、自分の尺度になんの疑問をもたず、それをそのまま他人に押しつけるずうずうしさに気づかないあなたの高慢さが私にはまったく理解できない。
あなたの価値観はあなたの価値観、それを否定するつもりはないけれども、人にはそれぞれの価値観を持っていることを理解していただきたいものだ。
ひとまずわたしは、年功序列などと都合のいい事をいって、本来対等であるべき関係性に傾斜を作って覆い被さってくる人を、私は絶対尊敬しないって事。
年上だからって無条件に従うあなたの生き様は否定しないけれども、私はそれはできない。
とにかく私は私の尊敬したい人を尊敬する。そしてそれはあなたではない。

――明らかに特定の誰かを攻撃している。

あー、めんどうくさい。
この人と一緒にいると、余計なことに気を使わなくちゃならないから疲れる。
「弁えなさい」とか他人に平気で言える人とは、わたしはつきあえないなぁ、正直な話。
あなたはどれほどのご身分なんだと。
やっぱりこの人とは、表面上のつきあいだけにしよう。

最終的には愚痴になっている。苦笑い。
あー、思い出した。
この時、反りのあわない人と一生懸命つきあおうとしていてキリキリしていたんだ、自分。
しかもそれが仕事関係でないところで、っていうのが絶妙にアレでコレで、と。
なんというか、こうして自分の過去の言動を振り返って見ると、つくづく自分が小物で切ないですね。