中井英夫「人形たちの夜」

76年出版。連作長編。
生きとし生けるもののつましい営為は、不条理なる神の指先で簡単に崩壊する。
積みあげたもの、重ねつづけたものは無惨に打ち毀され、かわりに現れる茫漠とした新たな地平に私たちはただ呆然とするしかない。
何故私たちは理由なく苦しまなくてはならない、弄ばれなくてはならないのだ。
神の残酷な仕打ちにひとり立ち向かうのが中井英夫という作家である。
彼の小説それ自体が、作者の統御の行き届いた巧緻なる人工的なオブジェである理由がそこにある。
彼の人工なるもの、論理なるものヘの偏愛は、つまりは人類から神への挑戦状なのである。
しかし、人類は神に敗北を喫するように、中井英夫の描く物語もまた、太陽に向かったイカロスさながらに、最後の最後に失墜する。
彼は常なる敗北を宿命づけられた反逆児である。
この小説においても「わたし」の築きあげた精緻なる完全犯罪は、最後の最後の「貴腐」というたったひとつのキーワードのみによって瓦解する。
その瞬間、「わたし」は舞台から霧散し、幻の王国は崩壊する。
がらんどうの舞台の上には、先ほどまでヒトであったはずの人形たちが、虚ろな硝子玉の眼をして転がるばかりだ。
どのように食い止めようとも、月蝕領は崩壊し、流薔園は変幻する。
しかし、それでいいんじゃないかと、私は思う。
人という生き物もまた、どれだけ憎しみを積み重ねても、ひと雫の愛ですべてを蕩ろかされてしまう、不条理で非論理的な生き物なのだから。
彼の瞋恚なる怒り、憎しみ、あるいは透徹した美意識を、私は理解できるが、そのように生きることはできない。どうも根がだらしがないらしい。

アホすぎる蛇足。
第3部「秋」は、暗号解読"東北温泉めぐり"ミステリーツアーだったのだけれども、ホームズ役の主人公・裕とワトソン役の助手・宮下が、温泉宿でなんとなくいい雰囲気になって、いたしはじめたのにはビビった。
つか、萌えた。"二日目は、むしろ彼からむかい入れ、求めさえした"んですかっっ。
……腐でごめん。