ああ、もう、面倒くさいなぁ。面倒くさい。
ブログなどをを彷徨っていて、なにが一番嫌かって、コメントやらなんやら閲覧者の書きこみが、エントリの論旨から大きく逸脱しまくるところなのである。
差別問題だとか天皇制だとかオタク問題だとかフェミニズムだとか(――まあ、他にも色々あるが)、それが炎上に繋がる可能性を孕んだ繊細な話題である時、エントリを書いている人の多くは、誤解されないように、面倒くさいことにならないように、的確に伝わるように、実に慎重に書く。書いているように見える。
しかし、必ず現れるのだ。それに事寄せて論旨と関係のないてめぇの退屈な意見をさも正論ぶってとうとうと講釈する奴が。
何度も見た。どんな話題でも見た。あれは一体なんなのだろう。わたしはいつも不思議に思う。
ブログ主を仲間だと勘違いしたのだろうか?
あるいは、ブログ主を舐めているのだろうか?
それともただ読解力のない、その単語を見るとつい脊髄反射してしまう馬鹿なのだろうか?
いいかがりをつけてるだけの言論やくざなのだろうか?
とにかくなんで自分でサイトなりブログなりをひらいて、そこで自分の意見を大いに発信する、ということをしないのだろうか?
そのほうがお互いの幸福のためなのに。
わたしには、彼らの主張以前にそのありようが皆目見当つかない。

どうにもわたしは「正しい意見」というものが聞きたい性分ではない。
なにかの理屈となにかの理屈を戦わせてその勝者同士がまた戦う、といった勝ち抜きトーナメントを延々とつづける、そういう悪趣味は好きではないのだ。
正論なんて気持ち悪いし、正論を振りかざす奴は自分に酔っていてもっと気持ち悪いと思っている。だから余計彼らにイラッと来るらしい。
わたしがその話を聞くとき、それはその話が「面白い」からであって「正しい」からでは決してない。
いくら正しかろうが、つまんない正論なんて聞きたくない。
つまんない正論を聞くくらいなら、面白い偽論(――なんて言葉はないのだが)を聞いてやる、と思ってしまう。
事実、言いがかりとしか思えないような、あるいは突拍子のない、論理の破綻した話でも、文章自体が面白く、魅力的であれば、わたしは喜んで読んでしまう。
――と、ここまで考えていてはたと気づいた。
そうか、彼らの話は正しいかもしれないけど、退屈だから、言葉に魅力がないから、誰も聞いてくれないんだ。
だからわざわざ出張で聞いてくれそうなところで正論の押し売りサービスしてるんだ。
なるほど、彼らもまた淋しい人なのだなぁ。
――と思ったところで正論を振りかざす人は可愛気がないし、魅力的な人に見えないからまこは相手をしないっっ。しないったらしないっっ。
と、世の多くのブログ主もこれくらいきっぱりした姿勢でいてくれたらいいのだが、案外いい人が多いらしく、大手になればなるほどレスに神経すり減らして、更新ペースが落ちたり、しまいには閉鎖したりするんだよなぁっっ。
まったくっ。さびしんぼうのえばりんぼうにはぷんぷんだっ。淋しくて近づくならせめて媚やがれってなもんだっっ。