埋め立てる

 あまりこのサイトで云っていないことだけれども、わたしは日本地図を見るのが好きだ。
 今の地図を見るのはもちろん、ちょっと昔の高度経済成長期の、あるいは大正・明治期の、もっともっと昔の江戸時代以前の古地図と呼ばれるものも、あるいは国土交通省で公開されている航空写真など(――戦後直後の米軍が撮影したものは必見)もひっくるめて、好きだ。ただ漫然と見るのもいいけれども、歴史と重ね合わせながら時代ごとの移り変わりを見ると、そこに交通や産業・経済の移り変わりが、立体的に見えてきて、ぜんぜん飽きない。
 そのなかで昔の地図を見ていていつも驚くのが、今は陸地であるところが、川の氾濫原であったり、湖沼であったり、海であったり、というのがとても多いことである。
 例えば東京駅付近。徳川家康江戸城入城する以前のそこは日比谷入江といって、まさしく海だったのだそうだ。
 また品川駅付近。明治期にはじめて鉄道が敷かれた頃から品川駅は今の品川駅の場所にあったのだが、その頃、ホームは海岸の波打ち際だったのだそうだ。それが証拠にJR横須賀線の地下区間(品川〜東京)は近年、地下水位が上がり、さながら水中に漂う潜水艦といった様相を呈している。構造物全体が海水まじりの地下水の浮力で浮きかねない状態で、数年前に地下構造物全体に負荷をかけるおもりをつける再工事を実施した。
 さらに大阪駅付近。大阪駅の構内を歩いていて、やたら小さな階段が多いことに気づかないだろうか? 地下水汲み上げと軟弱地盤に建物が耐え切れず、百年も経たないあいだに、駅自体が(いまでも)少しずつ沈んでいるのである。「梅田」は「埋め田」から転じた言葉。一帯は元々埋立地なのだ。後づけされた小さな階段のほかにも、よく見ると駅の各所に建物全体が沈降している証拠がみつかるはずだ。
 また瀬戸大橋の岡山県側の出入口の倉敷市・児島。陸続きで児「島」という地名は不思議に思えるかもしれないが、室町時代にこの地方で干拓が行われるまでは、本当に本州と切り離された瀬戸内に浮かぶ島だったのだ。
 また、昔は「香取海」という内海があった。今はもうない。しかしその跡なら今も残っている。
 千葉・茨城の県境付近。現在の利根川流域の霞ヶ浦・北浦・印旛沼手賀沼・牛久沼などが、それだ。
 それらは中世以前、ひとつの川だか湖だか海だかよくわからないが、一体となってひとつの水域をなしていたのだそうだ。それが江戸幕府の有名な利根川の東遷事業をはじめ、現代にいたるまでの様々な治水工事と干拓によって、今の形になった。

http://members.jcom.home.ne.jp/2131535101/unakami2.htm

 「古事記」でイザナギイザナミが陸地を作る記述がある。
 天沼矛で水だか大地だかよくわからない混沌としたなにかをかき混ぜると、なにかが矛から滴り落ちた。それが積もって島となった、という。
 つまりは、有史以来現在にいたるまで日本人というのは、そうやって、矛をかき混ぜるように、縦横無尽にうねりのたうつ川の流路を整え、堤防を作り、湖沼を干拓し、浅瀬を埋め立て、陸地だか水辺だかはっきりしないようなところをむりくりに陸地にと区分けして、農業地に工業地に商業地に住宅地にとしてきたのだということが、実感としてわかるのがとても面白いな、と、わたしはひとつ悦に入るのである。