AYUO+OHTA HIROMI「Red Moon」

RED MOON

RED MOON

 太田裕美と高橋鮎生のジョイントアルバム。04年、米・ニューヨークのTZADIKレーベルより発表で、日本盤は発売されていない。歌は全て日本語なのだが、歌詞カードの歌詞や解説は全篇英訳されたものが掲載されている。
 道元公案を元に作った「月と水」、同和問題がらみで広く歌われることの少なくなった「竹田の子守唄」(――中世日本のoutcaste"burakumin" で伝承された歌ときちんと解説されている)、中国の清代に書かれたある市井に生きた画家の自伝、沈復「浮生六記」を元にした組曲「A Picture of You and I(絵の中の姿)」、様々な哲学者の言葉をコラージュしてトークソングとした「One Step Further」など、どの曲も実にアグレッシブな切り口を見せるのが印象的だ。
 わうわうと鳴り響くノイジーなギターに、シタールやブズーキやシタラ、あるいは琴や篠笛が絡みつき、さらにシンセのサウンドエフェクトは幽玄な妖しさを醸し出していく。幻想的で闇の匂いがあり、気配が濃い。安易な「西洋人の夢見るオリエンタリズム」で終わらず、深い陰影があるのがこのアルバムの、そして彼の音楽の特徴だ。
 いつもぽつねんと所在なく佇んでいる《デラシネコスモポリタン》、それが音楽家・高橋鮎生の世界といっていいだろう。彼は世界中のどのような民族性にも根ざすことが出来ない。どれだけその世界に没入しようとしても、異邦人として世界を傍観する場所しか、彼には与えられないのだ。彼のサイケデリックで圧倒的な美意識の漂うエスノミュージックの向こうには、宿命的な孤独がたえず濃い影を落としている。それは彼の複雑すぎる出自や少年期の体験によるのだろうが、ともあれ、絵の中に入りたいと願う画家のように、彼はいつも世界から弾かれているのだ。
 しかし今回は、その厳しい孤独をまるで包むように太田裕美の歌唱が全篇フィーチャーされている。これがじつにやさしい。そっと悲しみに寄りそうような彼女の歌声は、まるで慈母の子守唄と響いてくる。
 結果、これまでの高橋鮎生のリーダーアルバムにあるような息苦しさ、厳しさ、寒々とした所でぽつりと佇むような所が、ない。救済がある、といったら大袈裟だろうか。わたしは今作が彼の作品の中で一番好きだ。
 白眉はクラシックギター太田裕美のボーカルのみで表現しきった11分にもなる組曲「A Picture of You and I(絵の中の姿)」。
 同じ村に暮らす同い年の幼馴染みの男女、そのふたりが大人になり夫婦となり、ともに畑を耕し、ともに老い、連れあいが流行り病に倒れて亡くなるまでを四部構成で淡々と描いている。お菓子を分け合ったことが友達にばれて恥ずかしがる、そんな幼時の瑞々しい恋、それは老いて病に倒れ「次に生まれ変わる時も」と最期の言葉を残してこと切れる瞬間まで続いていく。
 詞とサウンドは抑制的で、ゆえにより凄みをまして迫ってくる。さらに続いての「庭の千草」で見せる救済がまたいい。
 前近代には当たり前としてありながらも今は失われた、絆の強い、大地と地縁に根ざした男女の、そして人類の営みの風景として、高橋鮎生は強い憧憬をもってこれを表現している。