中森明菜 「Crazy Love」

 2010年9月から稼動するパチンコCR「CR中森明菜2」に収録予定の新曲。パチンコの発表記者会見が行われた7/13からレコチョクなどの着うた配信が行われているが、その後の展開は未定。
 記者会見上の明菜の「一位をいっぱいとってた昔の明菜ちゃん」うんぬんの卑屈でうしろ向きな自虐発言がマスコミでとりあげられていたけれども、新曲聞いて笑ってしまった。ありゃ、ただの謙遜。今の明菜は、ムチャクチャ精気に満ち満ちて、ちっともうしろ向きなんかじゃない。完全に「オレはやるぜ」モード。聞き手をいてこましてる。
 てか、明菜様、なに、いつのまに、こんなにタフになられてるのですか? 空元気でなく、心にしっかり筋肉蓄えてた強さにみちている。多分、彼女、今がいちばん良い時期。90年代のトラブル期はもちろん、右も左もわからなかったデビュー期よりも、結婚を夢見た天下のスーパーアイドル期よりも、多分、今が良い時期。音の向こうの明菜がそういってる。
 前年のアルバム「Diva」に引き続いてロスレコーディングで、プロデュースはBNA Productions。路線もまんまで同じで、擬似洋楽で、詞は英語と日本語のちゃんぽんで、メロディーにあわせて言葉を軽く載せながらも情感が響いてくる歌唱、つまらぬノスタルジー一切なしで、今のポップスとして真っ向勝負、明菜は図太く堂々と聞き手に屹立している。悲しみにうらぶられる落魄の元アイドル・中森明菜、なんてどっこにも居ない。
 ギターのリフのアホみたいなカッコ良さとか打ち込みのめくるめく感も素敵だけれども、それにしても、今回、やたら、歌詞が刺さる。サウンドだけさらっと聞くと能天気なアゲアゲナンバーにも聞こえるんだけれども、それだけに終わらない深みが詞にある。今回の作詞は遠藤幸三とMiran:Miran、英詩の語呂合わせの部分が遠藤氏でその他がMiran:Miranこと明菜本人と類推するけれども、どうだろ。

Now I'm Oh! Oh! Oh! So Happy
たまに Oh! Oh! Oh! So Sad
絶望と希望の Shout! Shout!
The light ……all light me up!

 多分、このパートは、パチンコに熱狂している瞬間の心理の暗喩なんだと思う。時にハッピーで時に悲しくて、希望と絶望の間隙に思わずあがる絶叫。全部点灯しろ、っていうね。
 でもこれが、浮き沈みの激しい明菜の半生にも聞こえる。それがこの歌の妙味。歌はつまり、ジェットコースターのようにHappyの頂点とSadの底辺の間を怒涛のごとく駆け抜けた明菜流のアンセムなのだ。

Life in short,short and hard

「人生って要するに、短くってハードだわ」こんなクールに言ってのけて決まるのは明菜だけっつう話ですよ。

裸だって/輝ける/そんな自分でいたい
この顔も/私だよ/愛だけが答えじゃない

 とかもよくって、なんだろ、平凡な言葉なのに、歌唱が伴うと経験が裏打ちする圧倒的な説得力が途端に立ち表れる。八の字眉になって線の細いバラードばかりを好んで歌っていた頃の彼女を知っているから、なのかもしれないけどもね。こんな風に言ってのけるのか、今の明菜は、という驚き。

Crazy Love つまずいて Crazy Love 立ち上がり
Crazy Love またひとつ Crazy Love 手に入れる
私だけのカラー 自分自身の人生

 特に好きなのがここで、これはファンならわかる「I hope so」〜「DIVA」の詞の延長の世界。さらっといってるけど、ここ、生半な人生で言えることちゃうわ。味わった辛酸こそが自分の存在証明だってことでしょ。後戻りできないほどに様々な挫折や裏切りやらを経て、傷だらけになりながらもそれでもなお「これがわたしの人生」と誇っている。
 それにしても、これが(半分)明菜の詞だというのだから、ちょっと驚く。「夢を見させて」とか「忘れて」「陽炎」「光のない万華鏡」などなど、内省的で孤独感の強い詞ばかり書いていたのが、ここまで強い詞を書くとは。深い闇を知るからこそより強い光をもとめるのか、という強さ。〆が「all light me up!」=全てよわたしを照らせ、だもんな。
 03年の「I hope so」あたりから少しずつ強さが戻ってきた明菜だけれども、「DIVA」以降は全盛期以上だね、確実に。声も艶々してる。

 って、こんな詞だけピックアップすると、なんか重い面倒な歌に思えるかもしれないけれども、そうでなくって、アゲアゲのハイテンションな空気であひゃーっと頭空っぽにして聞いちゃえる、サウンドも今っぽくって夏っぽくって、なんとなく流しても聞けるし、っていうとってもハードルの低い歌なんだけれども、ちゃんと何度も聞き倒せる強靭さをも有していて、それはなぜかというと、楽曲の芯に自らと自らの半生にきちんと誇りや矜持を持ち、聞き手に開示しながらも、それをただの不幸語りでなくエンターテインとして昇華する中森明菜というシンガーのぶっとい存在感があって、ゆえに、ガキんちょがなーんもしらんで楽しむこともできるし、おっさんおばさんが聞き込める曲としての厚みも保持しているんじやないかな、と(――演歌とか古い歌謡曲やニューミュージックしか聞いてないダメダメな中年は知らんよ?)。
 つまり着うたのペラっとした圧縮音源でなく、ちゃんとした音源で早く聞きたいっちゅーことなのですよっ。まったく。
 もう、今の明菜のサウンド、全然好き。気が早すぎるのは承知で早くこの路線でアルバム欲しいし、プロモーションして、今の中森明菜の音をちゃんと届けるべき人に届けて欲しい。ワイドショーレベルの人種とか、心底どうでもいいから。あの人たち、どうせ音楽なんてまともに聞いてないんだから。