心と部屋の分かち難い関係

今日は書くぞぉ―――っと気合を入れてパソコンのモニターの前に座るお昼前。
と、目の端にうつる綿ぼこり。
あっ、でも、ちょっと部屋汚いかな。
書く前にちょっと部屋片づけよ。
ということで、本を片づけ、机を雑巾でふいて、散乱するCDをラックに戻し、カーペットをあげて、畳を拭き、ついでカーテンレールや鴨居まで掃除をして。
階段もほこり溜まっているなぁ、台所もたまには整理をして、玄関も綺麗にはこうかな、あ、トイレそうじを忘れていたよ、洗濯もまとめてやろっかな、あー、体が汚い、お風呂にお湯はらなくっちゃ。
いつのまにか家事の大連鎖反応が発動し、気がつけば夕暮れ。

いやいや、夜は長いぞこれからだと再びモニターに座るが……。
…………あれっなに書こうとしてたんだっけぇ。
部屋を片づけたと同時に私の脳内のごたごたも片付いてしまったようです。
ありゃりゃりゃ。

「その人の人となりを知りたければ、その人の棲む部屋を見ればいい」という言葉はよくいったもので、部屋は主の心を如実に表す鏡のような役割があります。
集められた品々はその人の興味を示すものであるし、部屋の片付け方/片付け度はそのひとの今の精神状態を表します。
しかもこの「部屋」と「心」の関係は一方的な関係ではなく、相互的に影響を及ぼしあったりします。
だから部屋を整然と片づけてしまうと心も整然となってしまうのです。不思議なものですね。


本日の本サイトのアップテキスト。

紅水月「盲雨鬼嘯」

99年になくなられた少女漫画家、紅水月さんの遺作に関するテキストである。

個人的にも久しぶりに満足のいく、いうべきことはいいきったと思えるテキストであるし、なにより追悼と冥福という意味あいもあるので機会があるなら是非とも読んでいただきたい。