麺類に光あれ

続いて麺類の話。
前回の最後母が札幌育ちだとチラッと言ったと思うが、そのせいか母は「みそラーメン」に関する情熱がただ事ではない。
わざわざ札幌で有名な製麺所のみそラーメンセットをお取り寄せで購入するほどであった。
幼い頃は毎週土曜の午後となるとよくラーメンの出前で頼んでいたが、頼む店はいつも決まっていて、そのラーメン屋は醤油ラーメンや塩ラーメンなどはぱっとしないが、みそラーメンだけが異常においしいラーメン屋であった、ということも記憶している。

万人だれもが故郷のご当地の食べ物にこだわるという気持ちは充分わかるが、こと麺類に限ってはほぼ全国に渡ってなにかしらご当地性があるような気がする。
地図を広げてみると、まず近畿と中四国地方は巨大なうどん文化圏を形成してる。そして一方信州から南東に下りるようにして関東地方では巨大な蕎麦文化圏がそこに横たわっている。
二大勢力にはさまれるように中京のきしめん文化圏、そして文化果てる北狄・南蛮の地、東北・北海道、九州には喜多方・札幌・博多などを根城に一大勢力を持つ、ラーメン文化圏がある。
それらはそれぞれ独自性を誇示し、その勢力を牽制しあっているように見える。うどん文化圏の街でおいしい蕎麦を食べることは難しいし、その逆もまたそうである。
もちろん、これは麺の種類などにの大まかな分類のみであり、個々の麺類のなかでさらに細かい分類がまた、そこにある。近年流行りのご当地ラーメンなどその極みであろう。
こう見ると、全国的にどこでも食べられる「この味」という麺類は実はインスタントの麺類くらいなのではないか、ということに気づく。
ただし、東京に限ってはその例外で、江戸の食文化の一角である蕎麦はもちろん、醤油風味の「東京ラーメン」というご当地ラーメンもあるし、うどんも関東だし風であれば都内のどこにでも店はあるし、関西だし風の店すら今では多くなってきた。
これは首都であるから持ちえる雑居性に他ならない。こうしてみると、その雑居性にやられている「そば」が1番旗色が悪いなぁ。
東京といえば「蕎麦」だと私は思うけれども、そんな蕎麦を愛好する生粋の江戸っ子なんて、他県から流入するものどもにまぎれてすっかり影が薄いし、だいたい東京はラーメン文化圏に蚕食されているぞ。
「天抜きに冷や」そこの若い東京圏在住のあなた、これ、わかります??
蕎麦の粋な食べ方というのは私は本で読んだ知識だけであって、それを実践している方に私はまだ出会ったことがない(ま、私がきちっとした蕎麦屋にいかないというのもあるんだろうけれどね)。
これはちゃんと文化として受け継がれていってるか、ちょっと心配だったりする。
と、他人事ながら「蕎麦は大丈夫か」ということを気にして今日はおしまいである。