安田大サーカス

近頃、テレビに出てきたお笑いトリオに「安田大サーカス」というのがある。
これがどうも、私には笑えない。
が、それはイコールつまらない、というわけでは、ない。
彼らの発するアトモスフィアからどうも安心して笑いに委ねることができないのだ。

「サーカス」と言う名から、また2人の大男を傀儡のようにいじる団長安田の佇まいからか、またその2人の大男の非日常的な容姿からか、見世物小屋のフリークスたちとその団長というイメージがどうしても付きまとう。だから、笑ってしまったらある種の人に対して失礼にあたるような、そんな妙な罪悪感が働いて、笑えないのだ。
実際彼らの芸は2人の大男の異形ぶりをネタにした笑いであってどちらかというと「彼らがなんらかのネタをもって客を笑わせている」という要素よりも「ただそのままの姿で客に笑われている」という要素のほうが強いと思う。

とはいえ、彼らがテレビに出るべきではない、とは私はいわない。
1968年アメリカで障害者を見世物にする行為は人道的に良くないとして、見世物小屋(向こうではサイドショーという)を禁止する法案を出したところ、当のサイドショーの出演者たちがその法案を反対したという経緯がある。
そちらの勝手な罪悪感でわれわれの職を奪うな、ということだろう。確かにそれはまっとうな意見と言える。
しかし、私は平凡で偽善的な戦後民主主義教育を受けた人間なので、そのまっとうである意見にどうしてもひるんでしまうのだ。
小人プロレスや「びっくり人間大賞」などの番組を安心してみていられないのと同じように、このトリオも見るたびにどうにも気持ちが落ち着かなくなるのだ。
こまったものだ。