昨日の日記に書いた「左側通行・右側通行」についてもう少し掘り下げる。
無意識下で行なっている行動には「生得的に身につけている本能的行動」と「文化的社会的な状況下での学習によって習得した行動」との2つに大別される。
と「大別される」とかいておきながら、これがなかなかどうして、なかなか区別が難しいものだったりするし、では学習と一概に言ってもどの段階で学習するのか、であるとか、どの歴史的過程を辿って、と考えるとこれまた複雑だったりする。
が、この「左側通行・右側通行」に限っていえば、前回のおばさん自転車ライダーのような例、また英国・日本以外のほとんどの国が右側通行の例を考えれば、この行動原則がひとまず学習によって身についた行動であることは自明である。
では、この「左側通行」の習性はどの段階で学習するのだろうか。

左側を歩くというのは、つまり「人やモノとすれ違う時、あるいは向こうからやってくる何かを避ける時、無意識に左によける」ということである。
ちょっと関係ないかもしれないが、ドッジボールの話をしたい。

小学生の頃の体育の時間のメジャースポーツといえばこのドッジボールだが、すぐに敵に球を当てられるクラスメートが必ずクラスに1人2人いたはずだろう。
こうしたドッヂボールでいつもすぐ球をあてられ外野に飛ばされる子の多くは敵に狙いを定められたとっさの瞬間、無意識で右に逃げる習性を持つものが多いのだそうだ。
投球の瞬間のフォームを思い出していただければわかるだろうが、きちんと体を正面に向いて右手で投げる時、左側への投球の範囲は広いが―――真左ぎりぎりぐらいまでは投げられるだろう、右側の範囲は驚くほど狭い、どうしても肩を右側に向けないと、右側には上手く投げられないと思う。
骨格や筋肉の関係上、右手で投げる時、正面から左側は狙いを定めやすいが、右側は非常に当てにくいのだ。であるから、当てられる側は相手から見て右側、つまり自分の左側に逃げればいいのだ。が、とっさの瞬間にその習性が身についていない人はあっけなくボールの餌食にされるのである。
これは居合抜きなどでもそうで、相手から切りこまれたならまず左に体をずらして逃れるというのが大基本だったりする。

球技や剣道などが経験則となって、左側通行が身につくというのは相当強引な仮説であるが、ただ、同じくらいの運動能力の日米の子供でドッジボールをやらせて、競技能力をはかってみたら面白い結果が出るのでは、と思ったりする私である。