NHKの人間講座でジャズ・ミュージシャンの秋吉敏子を見た。
「私の音楽は死んでからが勝負」
芽がなかなか出ず、貧乏暮らしをしていた若き日の彼女はそう念じて、音楽活動に没頭していたのだそうだ。
それは世間に認められない芸術家のやせ我慢にも聞こえるし、志高き者の信念の強さの表れとも見える。

―――とはいえ、ひとつだけいえることがある。
芸術はどんなジャンルであれ、志の高い、作品の純度が高いものしか残らない、ということだ。
浮雲の様にふわふわと流れ、形をかえる世間に阿るような作品は絶対残らない。
例え一時の名声地位財産を築こうと、それは風のようにいつかなくなってしまう。
もちろん、その一時の栄華のためにものを作り上げる芸術屋はいつの時代もいただろうし、それを否定するつもりはないが、時と空間を越えてなお屹立とそこにあるそんな不易の美を求めてしまう芸術家という者たちのほうにどうしても私は惹かれてしまう。
何故、といえばそこに浪漫があるからだ。

今あるこの小さき自分のいる場所から遥か向こうへ、遠き彼方へ、全てを越え、自分があるべき姿であるがままに生きる見たことのない場所へ。
それは人であれば誰もが持つ欲望だ。しかし、多くの人は今ある現実のくびきに引き戻され、その思いは一瞬の妄想に終わる。しかし彼らはそんな夢みたいなことを信じていて、そして現に今にも飛び立とうしている。馬鹿だなあいつ、そんなつまらない妄想に憑りつかれて、と思いながらも、わたしは彼らに共感せずにはいられない。
私も狂おしく向こう岸を望みみる者のひとりだからだ。
ただ、私には向こうへと渡る手立てがなく、こうして見送るしかないのだが。