年末なので日記ネタになりそうなものがゴロゴロ。

ひとまず昨日の「FNS歌謡祭」。

中森明菜サマは「UTAHIME D.D.」バージョンでのメドレー。
元々「アウェイ」にはとことん弱い明菜サマなので、久々のテレビ歌唱で微妙かもな、と思ったけれど思ったよりもよかったかも。「TANGO NOIR」で、ちょっと声裏返っちゃったけれどカメラに向かってクールに挑発できたので良しとしよう。

ただ、今回の明菜サマはナツメロ要員なわけで、ちょっと無理してオリジナルアレンジ、原キー、ビブラートきつめで当時の振り付けも再現して「明菜ちゃん、変わってないね―」というイメージを視聴者に与える方向のほうがよかったかも。
今回のFNS歌謡祭の音楽監督武部聡志さんっつうのもあって彼と一緒に作った「UTAHIME D.D.」バージョンでのメドレーなのだろうけれど、その事情をほとんど知らない視聴者は「アレンジ変えてキーを下げたのを誤魔化している」と捉えてしまうかもしれないわけで。って2チャンネル見ると、ほらねやっぱり。

とはいえ「ベストテン」や「夜ヒット」があった頃のようにテレビの歌番組が明菜サマの「ホーム」になることはないのかなぁ、とも思ったさ。まぁそれが時の流れというものか。
それにしても過去のVTRを見る明菜のはしゃぎっぷりは相変わらずだなぁ。歌うは笑うは泣くは。数分の間に忙しいことこの上ない。これこそワイプの使い甲斐があるというもの、というか、ここでしか役にたってなかったよね、ワイプは。他の歌手を抜いてもみんな妙に意識してつまんない顔ばっかだったし。

と、明菜のことはともあれ、今回の最大の目玉はやはり生「マツケンサンバ」だったわけで。

マツケンを見ていて『そういえば「三波春夫」の席が空いていたんだぁ』ということをふと思った私。この自分で作った神輿に自分で乗っちゃうような感じってのは、三波春夫だよなぁ。ま、マツケンをイコール三波春夫というには歌がもっとうまくなきゃだめだけれど、方向としてはこっちでしょ。
時代劇+レビューという大衆演劇さながらの大衆性に溢れた(――というか泥臭そのものの)芸能的妖しさってのは、今のほとんどの演歌歌手が忘れているものだよなぁ、とも思った。今の演歌歌手ってみんな、加齢につれてカッコつけのベクトルに向かっちゃうんだよなぁ。

それにしてもマツケンが冗談でやっているか本気でやっているかまったくわからないところが不気味で気持ち悪くていいよね。
しかも今回は歌唱後デスチャビヨンセに感想求めちゃったりして、最高。「夜ヒット」の頃から外タレと演歌系歌手との奇妙な邂逅という場面はよくあったけれど、フジはちゃんと覚えていたのね。これは笑える。


と、そんなFNS歌謡祭で中澤裕子が代わって謝罪した「安倍なつみ 盗作騒動」だが、「出版物の販売中止。紅白辞退。1月いっぱい活動休止」って、正直いってここまで真摯に対応するとは思わなかったよ。盗作自体は褒められたことではないけれども、だいたいがやったもん勝ちな芸能界において、盗作を認めたのって八神純子の「パープル・タウン」ぐらいなモノだし、彼女にしたって活動休止せずに普通に活動していたし。アップフロントエージェンシーという事務所をちょっと見直した。
それにしても、FNS歌謡祭会場にいた露骨にパクってブレイクしたあの人やあの人などはこのコメントにどう感じたのだろうか、と思った。

ちなみに安倍なつみ盗作疑惑検証サイトはこちら。

http://www.geocities.jp/paropro2004/

確かに抜き出された部分を見ると、原作者に対する愛とリスペクトに欠け、かつ自家薬籠のものとなっていないように見える。つまりは程度の低い盗作といわれても仕方ないかな、と。
ただ、彼女の詞作をすべて見ていないので正確な判断は私には出来ない、というのが正直なところ。どんなものであれ、芸術・芸能活動における「盗作・パクリ」というのは当事者の人となりやその人の今まで作ってきたものを総体的に見ないと判断はつきかねると思う。だって、誰しもが自分の憧れる先達たちのパクリ・モノマネを入り口にして表現の道に入っていくのだから。
素直に謝罪した分だけ安易には彼女をバッシングしたくないな、私は。