新生児の名前ランキング

毎年明治安田生命が行なっている「新生児の名前ランキング」だが、今年は女性は「さくら」、男性は「蓮」が1位なんだそうだ。

http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking/

このランキングの発表のたびにやおい小説のような、あるいは暴走族のようなそのネーミングセンスに近頃の両親の自己愛の強さと低能ぶりを見せつけられるようで唖然とするが、やっぱり今年も感嘆してしまう。

名前負けという言葉を近頃の親は知らないのか。どんな人生を歩もうとも、どんな才覚と容姿を身につけようとも、年を重ねようとも、違和感のない名前を与えるのが良い名付けだと思うわたしとしてはこういった上位に連ねる名前は冗談としか感じられない。とはいえ冗談ですまないのは名付けられた子であろう。自分が体験することができなかった「輝かしい未来」を勝手に子供に仮託するという行為が、その子供にとってははた迷惑なものに過ぎないなんてことが、こういう名付けをする親はわからないんだろうな、きっと。自己愛の鏡写しのような子育てゴッコをしている彼らの姿が透けて見える。


それにしても1位が女の子の「さくら」って、どうよ。なんか「さくら」って名前の女性はとっても不幸な匂いがするような気がするのはわたしだけか。
「さくら」って名前の女性がいるとしたら、例えばこんなイメージだぞ。

大正から昭和初期の東北の寒村出身で、米の不作の年に身売りに出された、今は肺病やみの細面で美しい不幸な女郎。いつも鮮やかな紅絹を素肌に通したままで、蝋のような病的な白い肌で、時折ドバーッと真っ赤な血を吐いている。こんな感じ。

……って、これは妄想が過ぎるけれども、桜ってのは、平時は地味な樹木で、春の一時だけなにかが炸裂したかのように花弁を鮮やかにつけ、そして派手派手しく一気に散る花であって、それはどうにも幸福なイメージがしない。夭折とか、狂気とか、忍苦とか、耐貧とか、そんな言葉がよく似合う。
「死の匂い、不幸の匂いがどこか漂う花」という桜に対するイメージっててっきり国民的なものだと思っていたけれども、今時の人はそうでもないのかなぁ。もっと呑気なものなのかなぁ。西行も武士道も「桜の森の満開の下」も「桜の樹の下には」も遠くなりにけり。