ほりえもんにげんなり

時流に阿ってちょっとだらだらとほりえもんの話。

なんだか、騒動はいよいよほりえもんバッシングの方向になりつつあるよう。それにしても各方面からの反発はなんだかものすごいようで、ほりえもんがちょっと可哀想にもなってくる。とはいえ、あまりフォローする気にはならない。だってあらゆる思考がキモイんだもん。 (――あ、キモさの一例ならここなんてどうでしょうか。→http://media.excite.co.jp/book/news/topics/097/p01.html)


それにしても彼のAERAで語った「今の産経新聞のオピニオン路線は不要。サンスポ+夕刊フジ+SPAの経済とエンタメ系中心の新聞にしたい」というとんでも発言にもビックリした(――――個人的に笑ったのは「僕の愛読誌の『SPA』」の件。いやぁ、読んでますか。ほりえもんと『SPA』。なんだろうこのジャストフィット感。二つに分かれた欠片がぴったり合わさったような感。この妙な説得力。ってこんなこと書いている私は無条件で『SPA』を小馬鹿にしているのだが、まぁ、そんなことはどうでもいい)。
しかしそれ以上にビックリしたのが、後日それをまっこうから反論した産経新聞の社説「主張」(http://www.sankei.co.jp/news/050218/morning/editoria.htm)に「どうおもわれましたか」とテレビ朝日のインタビューを受けて「僕、新聞ほとんど読まないんですよ」と答えたことである。
……新聞読んでないで、新聞社経営したいのかよ。
ポーズなのか、本当なのか知らんが、ちょっとこれにはついていけない。
またこのあと「今マスコミから色々バッシングを受けているが、僕にはネットという自分のメディアがあるのでどうってことない」といった類の妙に強がった発言もしていたりして。

この人ってメディアにおいて時々子供のような意地のはり方や自慢のしかたをするんだよね。それがやたら鼻につく。はっきりいえばいじめたくなるんだよね。
件の発言も「自分のメディアに自負があるなら、他のメディアに目移りするなよ。ていうかそれ以前にLivedoorのサイトのつかえなさ加減、質の悪い二番煎じ加減、身内だけで盛り上がっている態の閑散さ加減をなんとかしろよ」と余計なツッコミもしたくなるわけで。
なんでこうもまで子供っぽい底の浅い切りかえししか出来ない人がどうしてここまで来れたのかな、と不思議に思えてくる。

ともあれこうした発言の一つ一つが(―――なんだかいじめられッコみたい、というのはおいといて)どうにもこうにも本気でマスコミに取り組みたい人にみえないんだよなぁ。素人目にもそう見えて仕方ない。本当にビジョンってあるの?と小1時間問い詰めたくなる。

江川紹子さんのインタビュー(http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html)で、メディアに関する自身の考えを述べているけれども、どうにもこうにも生意気盛りの大学生的な意見って感じがするんだよなぁ。
新聞は「市民記者」を募って記事の紙面は「人気ランキング」で決めるって、いくら私でも「そんなもんでいいのか」と思ってしまう。視聴者のはがきリクエストで出場歌手を決める「ザ・ベストテン」じゃないんだからさぁ。もし実現したらそれこそ2ちゃんねるのニュース速報板がそのまま新聞になったような情報操作と流言蜚語が飛び交うカオスな新聞になること間違いないだろうし。

とはいえ、既存のマスメディアの膠着ぶりってのは確かにあるし、ネット発信の情報がマスメディアの情報を相対化する役割が既に生まれているという事実も確かにあるわけで、風穴をあけるという意味でもそういうマスメディアが日本にひとつぐらいあって「東京スポーツ」のような形で異彩を放ってもいいかなと思ったりもする(―――とはいえもちろん今の保守本流路線の産経新聞を潰してまでやることとは到底思えないが)。なぁんて、ちょっとはほりえもんの言葉に耳を貸そうものの続いてこんなことをいっちゃうのだから気持ちはすっかり萎えきってしまう。

紙を出して、それが今の紙とそっくりで、例えばうちなんか「東京経済新聞」とかっていう名前にしようかと思ってるんですけど、日経と同じようなロゴで「東京経済新聞」って書いてあって、全く同じような体裁で出ていたら、分かんないじゃないですか。ああなんか格がありそうだな、とか思うでしょ?

阿藤快並みに「なんだかなぁ〜」とおもわず詠嘆してしまう。
この人、ただの権威のヤドカリ主義、ブランド大好きな田舎モンの馬鹿と同じだわ。上っ面だけ立派にして格上演出やっときゃなんとかなると思っている大豪邸の書き割りの平屋に住んでいる「びんぼっちゃま」。
(―――この文脈でいけば「半端じゃなく使えないYahoo」としか思えないLivedoorのサイトも彼的には充分出来あがっているレベルってことなわけだ)

や、確かに最初は見た目でダマされるかもしれないけれども、そう何度もその手は通じないんじゃないかなぁ。最終的に仕事ってのはどんなものでもビジネスパートナーやユーザーとの信頼関係に尽きると思うんだけれども。これではマスコミうんぬん以前というよりもまともにビジネスを構築できる5年10年パートナーとして任せられる相手にすら見えない。私は彼を「自分のコンプレックスを補填するために外資の傀儡となって一指し舞っている愚かなIT成金」にしかみえなかったけれども深く考察してその思いはより強くなってしまった。



そうそうそ。この騒動に関して、もうひとつ思ったことをおまけ。
彼に対して「お金があればなんでも出来るというものじゃない」というコメントで批判する人が結構いるのね。これにはちょっと吃驚した。
この批判がそこらのおっちゃんからのものだったらわかるけれども、これがそれなりに影響力のある政治家や企業人、テレビ文化人なんかがこの言葉を吐くのだから参ってしまう。この言葉って寅さん的にいえば「それはいっちゃいけねえーよ」だと私は思うんだよね。
だって一応日本は資本主義社会なわけで、ひとまずお金で物事動かしている社会なんだから。
その大前提を覆しちゃいかねない一言をさっくりいっちゃうのはどうよ、と思うのよ。

確かに「世の中お金でなんでもなるものではない」っていうのはそりゃ真実ですよ。でもそれは水戸黄門の印籠とか戦隊モノの巨大ロポットみたいなもんで、最後の最後のとっておきの切り札だと思うのよね。
オールマイティーに効くけれども、じゃあそのカードをいきなり切ってこの後どうするよ、みたいな。やっぱり印籠は八時四十分過ぎに出て欲しい。必殺技は最後にとっといてほしいのよ。
そりゃ大手を振るって「金で買えないものはない」なんてアブラギッシュに迫ってくる相手に安易にそう切りかえしたくなるのはわかるけれども、やっぱりその言葉をいっちゃうって言うのはある意味彼の術中にはまっているような気がするんだよなぁ。

ここはやっぱりそのカードを切る前に大人な論理で切り返していただきたい。 Livedoorの中核事業であるはずのネット事業の脆弱さ、魅力のなさであるとか、彼の資金集めの手段の危うさ、さらに彼の裏で糸を引く外資の存在とか。



またまたちょっと思い出したので、さらにおまけ。
あのさぁ、人それぞれには嫌いな言葉ってあるもんだと思うんだけれども、私はクリエイチブ気取りの底の浅そうな横文字が大っきらいなのね。その中でトップクラスのひとつなのが「シナジー」なんだけれども―――や、特にこの言葉には罪はないんだけれども、なんかこの言葉をよく使ってた奴で今まで頭よさそうって思ったタイプが私の周りにいないのよ。だいたいお前「シナジー」いいたいだけちゃうか、と。「波及効果」や「相乗効果」とどうニュアンスが違うの、みたいな。そんな奴ばっかでさ。つうわけで、なんとなく勘違いクリエイチブちゃん語のひとつと認識していたのだけれども、この言葉を彼が連発していたのには笑った。そうか彼は「シナジーな人」だったのかぁ。