個人的にものすごい好きなエピソードがある。
宇崎竜童と阿木燿子の二人のなれ初めは、大学時代のサークルなのだが、宇崎が阿木に出会ってはじめていった一言は「君は僕と結婚すると思うんだ」だったのだそうだ。
阿木は「なんて変な冗談をいう人なのだろう」とその時は流したというが、彼の求愛はその後もまったくおさまらず、結局ほだされるままにふたりは結婚する。
それからしばらく――、27歳にしてバンドをはじめてしまった宇崎と阿木は鶴見のつましい木造家屋を借りて住むことになるのだが、宇崎は帰宅する時「ただいま」のかわりに「桃源郷――っっ」といって玄関のドアをあけていたという。そして売れないバンドが少しずつ芽を出してくると「桃源郷――っっ」は「極楽浄土――っっ」にまで変わったという。


溺愛するのは男性に限る、と私は勝手に思っている。
女性の溺愛というのは、ちょっと身を切るような痛々しさがある。それが我が子にたいしてならまだ美しいものなのだが、惚れた男に対してとなると、さすがに悲愴さ、シリアスさというものは隠しきれない。
それに比べて男性の溺愛ってあっけらかんとして裏がなさそうで、なんとも能天気でしょ。
27歳になっていきなり夢見出した男がちっちゃな我が家にかえってくるたびに「桃源郷」って――なんか可愛いやっちゃなって思うでしょ。誰でも許せちゃうシチュエーションでしょ、それって。

男性がベタぼれして求愛しまくり、女性は「ちょっとこの人、行きすぎ」と嬉しさと恥ずかしさと鬱陶しさをない交ぜにしながら軽く受け入れる、という構図が1番しっくり来るこわれにくい男女の構図なんじゃないかなぁ、と、私は思う(――や、お互い溺愛しあうバカップルでもいいけれどもね。ただバカップルって長続きしないような気がするんだよね。そこで完結しきっちゃってる感じがするから)。
ということでわたしも率先して溺愛していきたい。そんなわけなのである。
今は当の相手がいないから、作品相手に「桃源郷――っっ」と叫んでいきたい。