ハンパな鉄道オタクとしての福知山脱線事故の話



「事故の日にボーリング大会けしからん」とか「今日もまたオーバーラン」とかマスコミはいつものように教条主義的かつピンぼけな批判をしているが、ちょっとまとめてこの話を――。

この事故の原因を脱線防止用のガードがなかったからとか、ATS-Pをつけていなかったから、というのをあげたりしているけれども、ま、確かにそうともいえるけれどもそれが主原因かなぁ、と思ってしまう。
正直いって70km/h制限のカーブなんて全国そこらじゅうあるし、信号システムにしたって、より安全なATCとかD-ATCとかATS-PとかSWとかっていうのは新幹線とか、東京圏とか、大阪圏のごく一部の線区に使われているシステムで、いわゆる旧式っていわれている今回の区間ATS-SっていうのはJRで使われているメインのシステムなわけで、じゃあなんで今回に限って、と思わざるをえないし。ダイヤが過密なんていっても、正直いって、これよりもより詰め込んでいるダイヤなんて東京にはほんとうんざりほどあるし。


―――というところでちょっと別の話。
時々大阪のJRにのって個人的に驚くのは「恐ろしいほど高速で運転する」「停車時間がめっちゃ短い」「やたらめったらダイヤが複雑」ってこと。
そこから受け取る全体の印象は「今ある設備のいっぱいいっぱいで電車を走らせているなぁ」ということ。

「恐ろしいほど高速で運転する」ってのはもう滋賀の東の果ての長浜から京都、大阪、神戸ときて兵庫の西の端の播州赤穂までを往復している「新快速」を見ればわかると思う。最高速度130km/h(これにしたって新幹線以外の鉄道では国内最高の速度設定)で、表定速度(基点から終点までの停車時間を含めた平均速度)が100km/h近いというのだから、どれほどの高速運転かというのはよくわかるところ。

「停車時間が短い」という話でいうと、大阪とか京都とか三ノ宮とかどう考えても「拠点駅」というような駅も止まったと思ったらバッとドアがひらいて、客がどわーーーっどわーーっと出入りして、と思ったらもうドアが閉まって出発している、という感じなのよ。鉄道のダイヤって15秒刻みに作られているんだけれども、こういった拠点駅でも15秒停車なんじゃないの?と思わせるような感じ―――細かいダイヤを見ていないのでわからないけれども、絶対60秒以上は止まっていない。でもって、終点の折り返しなんかにしても辿りついた列車が5分ちょっとですぐにまた折り返したりするわけ、通勤列車としては異例の長距離で高速の新快速にしてもそうだったりする。

「やたらめったらダイヤが複雑」ってのは、ひとつの線区に色んな行き先の列車をつめ込ませているところを見ればよくわかる。例えばただでさえ本数の多い大阪環状線関空行き快速や特急、白浜行きの特急、奈良行き快速などをつっこませてみたり(―――東京で言ったら山手線に色んな行き先の特急や快速が走るというかんじ)、しかも環状線への出入り口は単線で環状線を平面交叉したり、今回事故となった尼崎駅の福知山―東西線東海道線の同時到着同時出発や相互乗り入れもそう。

とにかく、このスペックでこれをするか……と感嘆と呆れが半ばといったトリッキーで神技なダイヤというのが素人目にもホントによくわかるのよJR西日本の大阪中心部の――アーバンネットワークといわれているところのダイヤは。
遊びがまったくないわけ。ギリギリまで張り詰めた糸同士をこっちに絡め、あっちに絡め、という感じ。
なもんだから例えばある駅で掛けこみ乗車なんかがあって、出発にちょっともたついたりとかするでしょ。と、もうその時点でアウトなわけ。もうダイヤを戻せない。ダイヤ自体が元々スペックギリギリで作っているから、どうやろうとも戻せない。しかも色んな路線が各所で乗り入れているから、それがどんどん他線に波及していくわけ。まさしく日々是「風が吹けば桶屋が儲かる」という感じで、尼崎で遅れたら、東海道線山陽線東西線福知山線片町線が遅れ、となると、大阪環状線阪和線、関西線、湖西線も遅れ――と、もう大阪圏のほぼすべての線区に影響し、それが特急列車にまで波及しようモノなら東は富山、南は白浜、西は鳥取まで広がってしまう。
他の鉄道会社だったら途中主要駅で2分乃至1分停車とか、おり返しで15分とか、そういう余裕時間を持っていたり、あるいは乗り入れをみだりにせずに、あるいは中央線の高尾や川越線の川越のように列車運用をどこかの駅でぶった切ったりして、ダイヤの遅れがあまり広がらないしているんだけれども、それに比べてまったくないアーバンネットワーク
1度遅れたら全てがもうおしまい。このタイトロープな運用が、報道されている「日勤教育」を生んだのだろうし、そして現場に過度のプレッシャーを与えていたんじゃないかなぁ、とわたしはと思う。

じゃあなんでこんなダイヤをJR西日本がつくりあげたのか、というとこれはズバリ私鉄との競争に勝つためだったんじゃないかなぁ、とわたしは思う。
わたしは大阪の親戚にいった時に1度だけ国鉄時代の大阪駅を訪れたことがあるんだけれども、今とは考えられないくらいに人気が少なく長閑だったのをはっきりと覚えている。
その時、遊びに色々つれまわされたけれども、その親戚の家庭は国鉄を使うということがまったく範疇にないような感じだった。京都は京阪か阪急、奈良は近鉄、和歌山は南海、神戸は阪神か阪急、市内は地下鉄―――え?国鉄?新幹線と北陸特急に乗る時くらい?てなくらいに意識がまったくなかった。これは当時の大阪人の鉄道感覚そのものだったんじゃないかなぁと今振りかえって思ったりする。
特に関西の私鉄は難波や梅田、淀屋橋とターミナルが直に繁華街というケースが多いので、本当に国鉄を使うケースが少ない。なくて充分に成り立ってしまう。
実際問題、当時のダイヤや各駅の乗降者数を見るとどの線区もスカスカ。

この状態からJRが打ち勝つには、とにかくスピードを上げること、ネットワークを広げること―――乗換えを極力避け中心街への乗り入れをさせること、それが出来ない場合はホーム対面でのゼロ分乗り換え……。ってことだったんじゃないかなぁ、と思う。
この戦略は大阪人の「いらち」の性格にあって、大成功。結果あらゆる私鉄との競合線区でJR西日本は勝つことになるわけだけれども、ある段階からそれは現場への多大な重圧の末に遂行されたシステムになってしまったようで……。
02年の11月6日に塚本〜尼崎駅間で特急列車が救助活動中の救急隊員をはね死亡させる、という信じがたい事故があったのが、今思えば、あれがひとつのシグナルだったんじゃないかなぁ、と思う。
あの時、安全と時間を天秤にかけた時に「時間」を取ってしまったJR西日本の体質がこの大事故につながっていったのではないかな、と。

――ただこれはもちろん絶対的にJR西日本の責任でもあるけれども、そうした無理な運行を強いるユーザーの責任も一方ではあるんじゃないかなぁとおもうんだよね、わたしは。よくいるでしょ。誰の責任でもない2、3分の列車の遅れや事故や天候などの理由の運行停止につめよるお客とか。そうしたプレッシャーがともすれば現場の人間の安全に対する認識を打ち消すほどのものになることだってあるんじゃないかな、と(―――ま、それでゆらいじゃ、プロ失格といわれればそれまでだけれどもさ)。

今回の事故は鉄道という交通機関の安全性を信じきってしまったがゆえに足をすくわれた原始的な事故という印象を受ける。