いつもポケットにショパン、でなく無記名定額小為替なまこりんですが、なにか。これでいつでも同人誌が通販できるね――ってまたやおらーにしかわからんことをいってしまった。
ってわけで、今日はやおいとか同人とか、その辺の話。

同人誌を中心に活動していた方が、商業誌で少しずつ書くようになり――いつしか、同人誌を出すペースと商業誌に掲載されるペースが逆転し、単行本などが上梓されて、サイトの更新も少なくなり、いつのまにかサイトの掲示板も撤去され、動いている部分が日記だけになり、日記の内容も「いそがしいです」と「メールありがとうございます」と「今度の○○に何々を書きます」という話題が中心になり、なぁんてなると、「売れてよかったねぇ。これからもがんばってねぇ」と思うと同時に、昔みたいに気軽にメールとか出したら迷惑だろうなぁ、と一抹の淋しさが湧き起こるのはなぜ?
これってつまりは、メジャーになると心が離れるビジュ系バンギャルの法則?
って、これもそのスジの人にしかわからない話題だってば。

ま、元々作家と読み手ってのは、本来は作品を媒介にして対峙するものなわけだから、ベつに問題なく、むしろよりその関係は純化したともいえるわけで、それはそれでいいんだけれども、そこを押しのけて、身内まがいの馴れ馴れしさでせまるのもなんか違うし。
ともあれ、同人誌の愉しみってのは、そのへんがあんまり「本来の形」でないところ――作家と読者が作品でさほど対峙した関係でないところが面白いわけであって、読者と作家が共犯関係になるような快感っつうのかなぁ、それは幻想に過ぎないんだけれども、放課後に教室の隅に溜まってくだんなーーい話をしているような愉しみが同人にはあるわけで、それがもう、失われちゃったなぁ、という悲しみがあるのですね。あの人は「同人誌」という教室から卒業しちゃったんだな、という。
一旦出ていっても忘れられずにその教室に出戻ってくる人、あるいは教室を行ったりきたりしている人、などなど、そういう人もいっぱいいるから、さほど悲しがる必要もないんだけれどもね。
ま、なんだ、つまりは、そんな作家さんのサイトを見て、ちょっとルルルな私がいたというそれだけの話なのだった。