マッキーの歌はタイトルだけでお腹いっぱいだよ

先日、いつもサイトで一緒に遊んでもらっている某氏と「槇原敬之の新曲のタイトルを勝手考えよう」ごっこをした。

「僕は繊細な人と思われたいわけじゃない」とか、「愛していると今いわなければ僕は嘘になる」とか、「この恋が悪いなんて神様も決めていない」とか、「弱い僕は君を壊して君を失った」とか、いかにもアレなタイトルをだしつつ、マッキーも「僕は太陽になるんだ」とかわけわかんない自己肯定して、道徳的な歌で自己防衛しないで、なんで素直に金太郎君との愛の日々の歌を作んないのかなぁーー、とか、マッキーはここは素直にジョージマイケルや美輪センセーのようにゲイシンガーの道を歩んだ方が身のためでね、とか、好き勝手いいまくっていたのだが、その昨日の今日で、マッキーの「travelling」を偶然にコンビニで耳にして焦った。

イントロが流れて、あ、宇多田だ、でもアレンジ違くね?  で、歌い始めたらマッキーーだったぁ。や、またカバーアルバム出していたのね。もう、なんか、変に見抜かれたみたいで、ちょっとびっくりしたよ。俺、今、ブラクラ踏んだ? という。

それにしてもマッキーのカバーはよくいるやたら歌の上手いおかまさんの歌そのもの、って感じで、なんか、こう、ね、アレですよね。と奥歯に物の挟まったようないい方をする。
っーかさ、はっきしいえば、これをどう受け取ればいいのよ、と。そんな手に余るものをプレゼントするなよ、と。そんな自分には不必要なのに、相手の思いが無駄にこもって捨てるに捨てられないはた迷惑な贈り物的なんですよっっ、マッキーのカバーは。非常に扱いに困ります。
自分好きなのはわぁったから、もっとプレゼントは相手の身になって考えようぜ。

あ、ちなみに美輪センセーの「ヨイトマケの唄」とエルトン・ジョンの「Your song」もカバーしているそうな。これはマッキーなりのカミングアウトってことなのでしょうか。先生。