【捏造された記憶】

外が冬ざれた景色を見せるこの頃になると、脳裏をよぎるひとつの記憶がある。

昭和30年代の、冬の東京の西のはずれ――まだあたりはキャベツ畑が広がっており、そこに武蔵野の雑木林や、軒の低い家々がぽつぽつと建っている、という感じなのだが、その一角にある大きな中高一貫の学園――そこは、私が中学時代を過ごした学園である、に通うひとりの少年がいる。

彼は、高校一年か、二年。
彼は、絵を描くのが好きで、美術部にはいっている。
彼は、時間が空いているときはいつも画布に向かっている。
彼は、成績もよく、理知的で、この時期の少年らしい快活さももちろんもっているのだが、ふとした瞬間に教室のざわめきを遠くに感じるような、内向的で、物思いに沈みがちな部分も持っている。

そんな彼が、なんのきっかけかわからないが、自分の心の落窪に滑り落ちていく。彼は、まるで、カメラのズームがどんどん離れていくかのように、現実から取り残され、ただ、自分だけの世界へと没入していく。
そして彼は、ある冬の日、自殺する。

彼は、通学電車と反対の行き先の電車に乗り込む。彼が向かったのは、小平霊園である。彼はその中のひとつの墓所に佇み(――おそらくそこに肉親の誰かが眠っているのだろう)、目を閉じずに手を合わせる。
深呼吸とともに、大きなまばたきをひとつ。意を決すると、彼は身を翻し、柵を乗りこえ、小平霊園の脇を走る西武線の線路に。近づいてくる茶色の列車。
――そこでこの記憶は終わる。

彼が通っていた学校が、本当に私の通っていた学校であるか、どうか、というのは、わからない。そもそも、その学校は、私が入学してまもなく全校舎を新・改築したし、それに昭和30年代というのは、私の知らない時代だし、わたしは小平霊園など一度もいったことがない。
けれども、その学校は、私の通っていた学校であって、時は昭和30年頃――終戦のごたごたの後の、しかし、いまだ世の中が貧しさから抜け出せない、どこか白っちゃ茶けた時代であって、かれが向かったのは、小平霊園である。と、まったくの直感で、そう私は記憶している。

冬の美術室の、しゅんしゅんと音のなる石炭ストーブや、窓の向こうの、空を突き刺す針山のような枯木立ち、その風景のまんなかで黙々とスケッチノートに何かのデッサンをしている、彼。
大雪のあった日の翌朝―――、真っ白な雪が一面をおおって、まだ誰も足跡のついていない、静まりかえった運動場を、目的もなく、黙々と、ただひたすら足跡をつけるだけのために歩きまわる彼。
死を決めた後に友人に見せた、どこか晴れやかで虚ろな彼の笑顔。
彼は、全てを受け入れているように見せかけ、その実、全てを諦め、いつも冷たく、人を拒んでいる。その彼の、些細な日常の点景を、わたしは、彼の友人として、でなく、もちろん、彼自身として、でなく、カメラ・アイとして、第三者の視線で、記憶している。

もちろんこの記憶は、わたしが、生まれたときから持っていたものではない。これは確信でいえる。おそらくわたしがその学校に通っていた時期、中学生の頃に、捏造されたされた記憶であろう。これも確信でいえる。
ただ、何故このような記憶の捏造がおこっているか、それが皆目検討つかない。わたしは、この記憶に似た経験もないし、そうした話を聴いたこともない。こうした話を、ああだろう、こうだろう、と創作した、という記憶もない。
まるで空から何かが落ちてくるように、気がつけば、この映像が、中学生の頃の、わたしの記憶領域に、落ちてきたのである。

私は、何故彼が死を決めたのか、よくわからない。そもそも、この物語に、どんな意味があるというのだろう。ただの、ひとつの、意味のない、死。それだけである。
ただ、彼が、まるで舞台から去っていく役者にひとりずつあいさつするように、自分を愛したひとつひとつに、言葉なく静かにさよならをするさまが、なぜかもの悲しく、わたしの心を痛ませ、わたしは冬になると、この記憶をいつも甦らせてしまう。