サイト設立当初の日記やテキストを見る。誰も見ていないと思って傍若無人に書きおって。思わず嫉妬する。そして訪問者の多さに自然と自己規制する今の自分のちっぽけさにいらいらした。できうるかぎり客観的たろうとする文章に嫌気がさした。

昔のように、超個人的なこと書いてもいいやん。だいたい個人サイトって、そういうもんやん。 TSUKASAさん、サイトの更新なくってさみしいな、連絡ください、とか、そういうどうでもいい私信を、書いたって、いいやんっっ。

そもそも、個人サイトなんてのは、社会生活では見せない自分のダメさやイタさをあえてひけらかす、そういうもんだと、そうじゃないですかね。そういうものだと僕は思うよ。
そんなね、正解のない、万人が納得するなんてことのないテキストなんてもので、クオリティーとか、読者の視点とかね、どうでもいいんですよ。

そういえば以前、hisuiさんから、アドバイスを受けたのだが、それはかいつまんでいえば「客観的に書こうとするな。もっと、自分語りしろ」というものだったのだが、果たしてそれは正鵠を射た発言だったのかもしれないと、ふと思いだした。

世のあらゆるタイプの文筆家をふたつのタイプに分類するとすれば、きちんとした大人が褒めるような冷静で客観的な<<ご立派な文章>>を書く人と、そうでない人に分けることができると思う。どちらが良いとか悪いということはないのだが、わたしは、後者のタイプの作家に、どうしようもなく、惹かれる。しょうもないことを針小棒大で馬鹿馬鹿しく語る作家を、些細な事実の断片から妄想をふくらましてありえないほど強固な世界を築く子供じみた作家を、私は愛してしまう。

こういう作家というのは、畢竟、"わたし"という個性が作品の全てであって、その文章は、光に透かしてみると、ひたすらに自分自分自分の印が押してあって、だから、どうにも世間の毀誉褒貶の落差が激しい。だが、その鬱陶しさを含めて、なんか好きになってしまうんだよな、そういう作家の、そういう文章。己の嗜好を鑑みるに、なにかを書くとしたら、わたしもこちらを目指すしかないのかもしれない。

だいたい、人を論理的に説伏するほど牽引力のある理性の持ち主じゃねぇものな、おれ。