世の中は「力」がすべてだなあ、と近頃よく思う。
カタカナのカじゃないよ、「ちから」。といっても、なにもこれは悪い意味でいっているのではない。
 力にだって、色々ある。殴る蹴るといった、率直なわかりやすい力――暴力もあれば、地位や名誉を使った権力もある。金の力もあれば、色の力、愛の力、言葉の力もある。なんにせよ、その力のないものは持ちえているものに屈しなくては、ならない。どうあがこうとも力なきものは、屈せざるを得ない。

 だから――。
 このネットの世界も、結局は力の世界なんだなあ、と思う。言葉の力を駆使したパワーゲーム。これがネットなんだなぁ、と。
 論理的な言葉、愛の溢れる言葉、直観力にすぐれた言葉、カッコいい言葉、どんな質のものでもいい、力の強い言葉のところに人は集まる。力のある言葉は、広く敷衍していき、力のない言葉は、そこで途絶える。
 そこで力ないものが、泣き言をいおうが、嫉妬しようが、相手を貶めようが、それはゆるぎようがない。自らが力をつけて、再び戦うしかない。
 PCと回線があれば誰でも自由に参加できるこのパワーゲームは、ほかのパワーゲームがそうであるように、終わりは来そうにもない。

 ライブドアほりえもんが負けたのは、一言でいえば、金の力に頼りすぎたことだ、と思う。
 力には、その局面において必要なさまざまな力がある。金の力は、確かに多くの状況を助ける力ではあるが、オールマイティーではない。
 そのことを彼は今まで学ばないでいたのか、あるいはどこかで忘れてしまったのだろう。 ――なんて考察は、あまりにもありきたりだが、なんとなく筆の勢いに任せて書いてしまおう。
 それにしても、彼には言葉の力がなかった。テレビでの発言や、あるいは、彼のブログなど見るに、それはちょっと驚くほどであった。この人の言葉、なにひとつ信用ならないよな、と。言葉に力のない人というのは、それだけで集団のトップたる資格に欠けているのではと私は感じていたが……かくしてこのような結果になってしまった。