立春に、本田美奈子を想う

死というのは、あらゆるものごとを浄化するものなのだなあ、と思う。

 ここ数日、本田美奈子のかつての音源や映像をよく流している。
 わたしは歌手として彼女に大きな可能性を感じていたその一方で、彼女がいつまでも開花しきらず、いつもどこか未完成であることに、複雑な感情を抱いていた。
 美奈子、いつまで寄り道しているんだよ。美奈子なら、もっとできるだろ。もっと上にいけるだろ。
 まだ彼女が元気だった頃に私が書いたテキストで、彼女に対して時に辛辣であったのは、そういった理由があった。

 しかし、彼女が亡くなった今、残された彼女の声と姿を見るわたしの心に、そのようなもどかしい感情は、ない。
 臍出しアイドル時代も、ロックアーティストぶった時代も、ミュージカル時代も、最後のクラシッククロスオーバーも、アイドル時代からなんら変わらなかったあの舌ったらずで甘えたような話し方も、すべて、彼女そのものであった、と。生意気なところも、真面目なところも、ぶりっこなところも、率直なところも、時にお寒いところも、すべて彼女であって、それでいいではないか、と。そう思える。

 確かに、ミュージカル「ミス・サイゴン」に出会う前の彼女の活動――アイドルとして、ロックシンガーとして、ポップス歌手としての彼女の活動は、、活発ではあったが、たえず方向性が定まらず散漫であって、無駄な動きが多かった、とは今でも思う。
 しかし――。彼女の活動の歴史のなかでとりわけ汚点として見られがちな、ガールズバンドWild Catsの頃でさえ、今改めて見ると、それはそれで、いいのでは、と、必死になって、何者かになろうとしてさまよっている彼女の姿に微笑ましく思えてくる。

 そう――、彼女は、必死だった。
 あらためて、彼女の姿を見るに、彼女はいつも自己の力の100%で、レコーディングに、ライブに、歌番組にぶつけてくる、そういう歌手だった。だからこそ、迷走といえる時代でさえ、今振り返り見ると、とても暖かい気持ちになる。青くて、まっすぐで、全力で。あぁ、これが青春なのだなぁ、と。

 彼女はいつまでも未成熟のまま、青臭いまま、自分のほんとうの場所を探しつづけて、迷い、行き暮れて、それでも諦めず、力いっぱい生きて、そしてようやく何かをつかもうとしたその瞬間に途に倒れた。

 彼女は、春のただなかで逝ったのだな、と思う。彼女の命日は、冬だったけれども。彼女は春そのものだった。

 ――立春に、本田美奈子を想う。 (06.02.04 記)