THE BIG GIG [DVD]

THE BIG GIG [DVD]


 1983年8月7日、新宿副都心、都庁建設予定地で行われたライブ「THE BIG GIG」の模様を納めたDVD。会場の2万2千人の観客とチケットを入手することの出来ずに会場両脇の陸橋につめかけた6000人のために開かれたライブバンドである甲斐バンドの、記念碑的ライブ。ビデオとレコードの発売、さらにテレビとFMでの放送もあり、さらにそれぞれの編集を変えたりと、パッケージもかなり凝っていたようだ(――というか、DVDとなったビデオしか見ていないのでそれぞれの異同がわからんのよ)。

 これは、アレだね。はっきりきっぱりと、ロケーションの勝利。
 高層ビルの林立するなか、エアポケットのように取り残されたなにもない広大なあき地でライブするロックバンド――って、だってそれだけでもうカッコいいじゃん。企画を立てた人が、もう、断然偉い。風に流れるスモーク、落陽に刻一刻とその色を変えていく超高層ビル群。特にステージバックにある三角のビル――新宿住友ビルか、が、ズル過ぎるな。巨大な舞台装置になっている。

 当時の甲斐バンドは「ニューヨーク三部作」制作まっただなかで――当時の最新アルバムは『黄金』、アーバンでハードボイルドタッチの世界を追求していたということもあって、このロケーションにベタはまりしております。東京砂漠、おれたちの青春の蹉跌はいま熱いロックのビートになった、というか、そんな感じ。
 甲斐くんもカコイイぞ。時々動きが江頭2:50したり、顔がうっかりすると次長課長の「タンメンの人」になったりするけれど、それ含めてセクシーです。ベストアクトは、オープニングを飾った「ブライトン・ロック」、このライブ音源をそのままにシングルカットした「東京の一夜」、大合唱で会場と一体となった「翼あるもの」かな。「ポップコーンをほおばって」「100万ドルナイト」あたりも定番なんだろうけれども、泣けます。



 

Strawberry Time

Strawberry Time


 87年作品。出産休暇明けの復帰アルバム。プロデュースと全作詞はいつもの松本隆。作曲は、土橋安騎夫小室哲哉大江千里米米CLUB辻畑鉄也など、当時のロック・NM系の新進アーティスト勢が大集結。編曲はこれまたいつもの大村雅朗を中心に、西平彰笹路正徳など。

 前作、「SURPREME」は、当時人気絶頂のアイドルが、結婚し、出産しようという、そのまったただなかに制作しなくてはないらないという、前代未聞のシチュエーションだったわけで、さすがの松本隆御大も、恐る恐るプロデュースしているな、という感のただよう作品だった。―――どこまで今までの≪アイドル・松田聖子≫の色を残すのか、どこまで変えてしまっていいのか、という微妙なさじ加減の苦慮が垣間見えた。が、その「SURPREME」が松田聖子のオリジナルアルバムで自己最高のセールスを記録したこと、さらにそのアルバムで人類愛・母性をテーマにした「瑠璃色の地球」がもっとも好評価であったことがはずみになったのだろう。この本格復帰アルバムで、松本隆松田聖子を変える勝負に出た。このアルバムのコンセプトは、ズバリ「松田聖子を大人の女性にする」だったんじゃないかな。このアルバムで、松田聖子は、なにものにもとらわれず自らの意志で自らの道を歩む「自由」を手に入れた。

 デートの帰り、自宅の裏庭のガレージで「お休みのキスの続きはないの?」と恋人を積極的に誘う「裏庭のガレージで抱きしめて」。「不幸な恋になってもかまわない」と恋にすべてをかける「チャンスは二度ないのよ」。気のすすまないお見合いを「未来くらい自分の手で選びたいの」といって、晴れ着のまま恋人と海辺へ逃げ出す「KIMONO BEAT」。男の自尊心や劣等感、女性観を見透かし、鼻で笑いながら「からかうのって、楽しい」と恋人を手のひらで転がす「妖しいニュアンス」。などなど。かように表現される、あらゆる規範から逸脱して自由奔放に生きる彼女の姿が印象的だ。そして、それは決して下品には映らない。そのいっぽうで、その自由と引き換えに背負わなければならない「孤独」と、全てを包み込もうとする「愛」が描かれているからだ。

 懐かしい街にひとり降りたち、かつての恋人の偶然の見かけるものの、過ぎ去った時の重さに、一度も視線を交わすことなく別れる「シェルブールは霧雨」。自由を求めるがゆえに愛するものと別れ、しかしそれでも後悔を振り切ってその先を歩もうとする、登山の道のりと人生の道のりをかけあわせた「雛菊の地平線」。弱いわたしだからこそ、木洩れ日や水面にきらめく光のように、愛をあなたに注ぎたいと歌う「LOVE」。タイトル作「Strawberry Time」も無意味系の作品に見えて、「争いのない永遠に平和な国へ地図をあなたにあげる」という歌なわけで、LOVE&PEACE的な歌ともいえる。

 意のままに恋から恋へと自由奔放に生き、それと引き換えに自らの責任を持って、孤独に生きる。そして、自由と恋と孤独の向こうに「愛」を。惚れた腫れたの色恋を越えた、ひとつの魂としてひとつの魂を、そしてその向こうにあるさまざまを抱きしめる「愛」を描く。これが松本隆松田聖子へ提示した≪成熟した大人の女性≫像であり、それは、このアルバムでは成功したといえる、と思う。この路線は、次作「Citron」でさらに強化されることになる。

 が、松田聖子自身は、「自由」の部分は充分体得したのものの、そのいっぽうの、それと引き換えに背負わなければならない孤独というのが、どうもわからなかったようで、結果、深い愛というのもピンとこなかったようで、松本隆の手を離れて以降の、松田聖子自身の手による作品は、どうにも≪いつも底の浅い恋愛ばかりしているただの色ボケのオバサン≫の歌(――実際の聖子ちゃんの恋愛がどうかってのは、知らんよ)ばかりになってしまって、ごにょごにょ。 ――ま、以後の聖子ちゃんはともかく、これはいいアルバムだぞ、と、強引にまとめる。