伊丹十三のエッセイを久しぶりに読む。
 やっぱりこの人の文体は面白い。
 俳優・監督・作家の三つの顔で、いったら、わたしは断然作家としての彼を評価しちゃう。軽妙洒脱ながらも、一緒に暮らしたらこれはもうたまらなく鬱陶しいだろうなあという、インテリの美意識。こういう気難しい人って、最近、いなくなったよなぁ。みんな物分りがよくなって、それはまぁ、楽なんだけれども、ちょっとばかり退屈。
 ちなみに、伊丹十三は、私の高校の先輩にあたる。って、わけで、わたしはひそかに、先輩、と私淑している。

 それにしてもよくわからないのが、彼の最期。
 「人生は実に中途半端な道ばたのドブのようなところで、突然終わる」
 って、いったからって、何もほんとうに、どぶにハマルみたいにどうでもいいことで死ぬことないじゃないのよ、先輩。写真週刊誌に不倫スキャンダルがすっぱ抜かれたのを、「潔白を証明するため」に自殺、って心底、どうでもよすぎるよ、先輩。
 あんまりにも突飛すぎて、わりと伊丹十三が自殺したという事実、世間に忘れかけられてるし。まぁ、インテリゲンチャってのは、わけのわからない時に、わけもわからない死にかたをするものだし、彼の残した文章も、いかにもあっさり自殺しそうな、そういう文章なわけで、まぁ、わかるっちゃわかるんだけれども、それはあくまで、気分、なわけであって、やっぱり、理屈が通らないと、なんとも後味は悪い。

 他者の自殺ってのは、理屈が通って欲しいものだ。
 生活苦とか病苦とか失恋とか仕事のトラブルとかいじめとか、そういう、わかりやすい理由が欲しい。こちらが、あぁそういうことね、と納得して消化できる、下世話な理由が欲しい。
 ≪ぼんやりとした不安≫で死なれちゃ困るのだ。そんなふうに死なれちゃ、なんだか自分の生きている意味がないような、そんな気がして、困ってしまうのだ。
 だから、これから自殺する人は、是非とも、きっぱりと「これは死ぬしかないよな」という、そういう理由付けをして、亡くなってください、お願いします。――って無茶苦茶なことをいっているな、おい。