時間がない時間がないっっ。
 なんかもう、気がつくと草稿ばかりがたまっているまこりんです。
 いつになったらこのテキスト、サイトにアップされるんだろうねと、おもわず、誰にというわけでもなくつぶやいてしまう。
 もうね「じゃ、あたしがお金稼いであげるから、まこはうちでずっと書きものしていいよ」とかいわれたら、その場で主夫になりますよ、わたしは。それくらいとっちらかっていますよ、今。

 しかも、わたしって人間は、「うをーーっ、明菜萌え」とかつって悶々とテキストのプロット立てているときに、ふと「あ、そろそろ菜の花とか、おいしい季節だよな」とか思いっきり関係ないことを思いついたり、で、その流れのまま買い物して、菜の花のおひたしとか作って、「やっぱ旬の食材はそれだけで宝石だよね」とかなんとかへらへら思いながらもそもそごはん食べたりして、で、すっかり明菜様のことを忘れちまったり、と、そんなこんなで、なかなか前にすまない。

 「明菜様が頂点、明菜様がすべて、明菜様以外この世から消えうせても問題ない」って感じで、つきぬききれない。「明菜もいいけれども、菜の花のおひたしだって、おいしいよ」と、およそ関係のない明菜と菜の花のおひたしを同一に並べて、「みんな違って、みんないい」してしまう。
 ま、集中力に欠けている、自分がない、といわれればそれだけなんだけれども、こんな自分、結構好きだったりする。
 自分の中で変にヒエラルキーができて、「いるもの/いらないもの」の順序がはっきり決まっちゃうと、生きる面白味が少なくなると思うのだ。「中森明菜」も「菜の花のおひたし」も「みんな好き」の枠の中で、混沌としている方が、絶対生きてて楽しい、と。
 って、わけでわたしは空気をミーと吸ってハーと吐きながら、とっちらかったままで雄雄しく生きていくのであった。