加藤登紀子

 ってわけで、 「シャントゥーズ TOKIKO 〜仏蘭西情歌〜」を買ってみたけれども、びっみょーーーーっっ。なんだろ。確かに『シャンソン』という感じなんだけれども、『TOKIKO』って感じは、なんか薄く感じる。
 加藤登紀子って、オリジナルアルバムの傑作率がかなり高い、打率のいいアーティストのひとりだと思っているけれども、うーーーん、どう? このアルバム、なにが足りない? なにがいけない? と、過去の加藤登紀子のアルバムをひっくり返してみたら、収拾がつかなくなった。オリジナルアルバムが50枚もあるアーティストの過去を本気で振り返ると、血を見ます。どれもこれもいいアルバムだよなぁ、と、レコード・CD棚をひっくりかえしまくり、トキコの罠にはまってしまったよっ。
 コレだけの数のアルバムをリリースしておきながら、たえず新しい、というか、いつもその時点での現在形を表現しているのね、トキコは。おんなじような、印象の被るアルバムってのは、まったくない。そこがすごい。
 てか、前アルバム『今があしたと出逢う時』を聞いた耳で、01年の『MY BEST SONG』、00年の『TOKIKO SKY 蒼空』を再び聞いて、はじめて、この2枚のアルバムの良さがわかった。今のトキコがやりたい音ってのは、届けたいメッセージってのは、ここなんだな、と。これが今の加藤登紀子なんだな、と。シンプルで開放的で力強く直線的。これなんだな、と。リリース当初は「なんかいつもの加藤登紀子っぽくないなぁ――」と思って流してしまったこのアルバムの魅力がはじめてわかった。存外ににいいアルバムだね、この二枚。
 と、ふりかえって「シャントゥーズ TOKIKO 〜仏蘭西情歌〜」を見るに「今の加藤登紀子」って部分が薄く感じるかなぁ。今、加藤登紀子がなぜシャンソンなのか、というのは、ちょっとこのアルバムからは感じ取れなかった。ジャック・ブレル「愛しかない時」は、まさしく今のトキコが歌うべき歌って感じだったけれどもね、他の歌は、うーーん、初収録のものはあまり必然を感じず、再録音のものは以前のもののほうが質がよかったり。またしばらくたって、聞きなおすと印象変わるかもしれないけれども、今の印象は、こんな。