山口百恵 「愛の嵐」

 これは、情後の歌だ。
 激しいセックスの後の浅い眠り――彼女は、夢を見る。薄紅のドレスを着た他のだれかが隣にいる恋人を手招きしている夢を、見る。
 夢にうなされる彼女に心配そうな声をかける男。目をさます彼女。
 さきほどの情事の、あなたが首にまわした指がきつすぎたみたいよ、と彼女は応える。
 応えながら、ひとときの夢の名残が、彼女を嫉妬の炎に駆り立てる。
 しかし、その嫉妬は、言うなれば、杞憂だ。ありもしない幻に彼女は嫉妬しているに過ぎない。
 だから、サビは「ジェラシーストーム」の連呼で、燃え上がったと思ったその次の瞬間には、眩暈のように、一気に失速する。そして「心の貧しい女だわ」と、自虐へと転ずる。
 セックスの後の甘いひと時すらも幸福にひたれない、つまらない猜疑心にかられる愚かな自分――と。

 「横須賀ストーリー」以降、阿木燿子は、山口百恵のシングルで、芝居の一幕のような緻密な情景と心理の描写を行ってきたが、この時期の「愛の嵐」、「美・サイレント」あたりになると、複雑かつ淫靡になってきて、ちょっと一般性には欠けるのかな、と一方で思ったりもするけど、わたしは大好きだな。
 ちなみに。当初、この歌のテレビでの歌唱で、山口百恵は首筋に蝶の刺青(――風のペインティング)を施していた。これは「首にまわした指が〜」からのリンクなんだろうな。振り付けも、ひら歌では、手のひらで首を隠すようにして歌っていたのが、サビではらりと髪の毛をかきあげるように手を払うとそこに――蝶の刺青が、という演出になっていて、非常に性的なこの歌の暗喩として見事に機能していた――ってか、ものすごエロカッコよかったのだけれども、過激すぎるということで、その演出はほんの数回しか披露はなかった、という。沢田研二の鍵十字の軍服による「サムライ」とともに幻の映像である。