なんとなくサイトを開いて、気がつくと、3年以上経っている。
 まぁ、10〜20代の3年というのは、誰だってそうだろうけれども、3年という時は「自分」というのものをかえるに充分すぎる時間なわけで、自分にとってのこのサイトの意味も、開設当初の頃と比べるといくぶんか、かわっているのは間違いなく、「どうするべか」と、ふと振り返って考えたりすることが実に多い。
 近頃、日記の更新、テキストの更新がスムーズでない大きな要因の一つが、実はそれだったりする。
――ま、ただ単に忙しいとか、なにかを語らずにいられないとあからさまに熱っぽさを表に出すのでなく、それよりも無口な受け手でありたいと思うほうが、今はちょっとばっかり勝っていたり、とか、まぁ、他にも色々あるんだけれどもね。

 ネットの言葉って、不思議だよなぁ、と、近頃改めてよく思う。
 電話や手紙なら、どこの誰か、とその言葉にはあらかじめ宛名が記されているし、本にかかれている言葉は、宛先はなくても、出版社の編集者やら、印刷所など、作り出させるまでにさまざまな人を介しているわけで、少なくとも「不特定多数に送り出す価値がある」となんらかの人が思った言葉のみが、世に出されるわけで、それと比べると、ネットの言葉ってのは、とても孤独だ。
 誰に宛てるともない、誰が認めたというわけでもない、つまり目的のない、ひとり言の呟きみたいな、ぽつねんとした言葉だ。そんな、ある面においては、純粋なる言葉を、誰かが書いて、それを誰かが読んでいる。誰かに届くと信じて誰かが書いて、誰かがそれを受け取る。
 それは、ひとつの奇跡だと思う。

 ネット上には、それこそ嵐のように、穢い、どうしようもない、嫉妬と憎悪と欺瞞に満ちた、愚劣な、人を惑わす、悪魔の言葉が、吹き荒れている。そういうところもある。けれども、その汚濁を踏み越えて、出会えてよかったといえる、奇跡といえる言葉を、わたしはつづっていきたいし、そういう言葉に、私は出会いたい。近頃の私はしみじみ思う。

 そんな気持ちの私が、過去のテキストを見ると、なんとも品性のよろしくない未熟なもので、足りない部分が実に多く、では、今の私がそんな質の高いテキストが実際書けるのか、というと、これまた、無理です、無理というしかありません。と、いよいよ混迷を深めていくわけで。困った困った。