戦う細木の歌を戦わない奴らは笑うだろう

 だるい。
 はげしくだるい。

 実家に帰った。
 母が、唐突に
 「見積書をパソコンで作りたいんだけれども」
 と、いいだした。

 実家は自営の零細水道業者で、いまだにPCが導入されていない。
 とはいえ、あらかじめフォーマットを作ってしまえば、文字打ちができる程度のスキルで、見積書程度ならできるはず。
 母はテレビゲーム大好きっ子だから、PCと親和性もあるだろうし。それにPC得意な妹があれだけ長いこと一緒に暮らしていたのだから、多少は知っているはずだろうし。
 安易にわたしは、いいよ、と、妹の置いていった古いパソコンを立ち上げて、エクセルで、さっくりと簡単な見積書のフォーマットを作った。
 「ここにお客さまの名前、ここに摘要、ここに金額、ここに個数を入れれば、後の計算は、全部パソコンが勝手にやってくれるから。後はプリントアウトして、終わり」
 と、説明する。
 これで終わりだ、と思った。
 ――ら、世の中、そうは甘くなかった。
 「で、どうやって、字を入れるの ?」
 ここから親子の長い長い旅が、はじまった……。

 電源の入れ方。終了の仕方。画面の開き方、閉じ方。マウスの持ち方。クリックの仕方。ポインターの合わせ方。英数/かなの変換の仕方。文字入力の仕方。漢字変換の仕方。削除の仕方。コピーとペーストの仕方。単語登録の仕方。保存の仕方。印刷の仕方。
 相手がどこまで知らないのかわからないので、場当たり的に教える。
 ここまで教えたらなんとかなるだろうと安心したその矢先にその前段階でがっつり躓く。そしてまた教える。
 ざっつ、後手後手。
 もちろんデフォルトで、教えた矢先に忘れる。
 忘れると、冷静になって思い出そうとせず、すぐに思考をフリーズさせ、助けを求める。これもデフォルト。

 「電源入れたら色んな文字がいっぱい出てきて画面が暗くなったんだけれども」(ただ起動に時間がかかっているだけやん)
 「何回Delete押しても、この字が消えないんだけれども」(そりゃ、カーソル左側の字は消えんわなぁ)
 「上の方が見えなくなったんだけれども」(カーソルキーかスクロールバーで上にもってったらいいだけやん)

 ……無理。
 無理無理無理無理無理。
 どう客観的に見ても、60歳を優に越えたおばぁちゃんには、無理だぁぁぁっっ。
 いくら、今、母がケータイでファイナルファンタジーをやっている、いうても、無理。無理なものは、無理。
 わたしだって、なにも知らない状態からここまで教えられてできるか、と考えたら、かなりきっついのを、そんな無理ですってば。

 それでも諦めない母。
 うちの母は、根性だけは、無駄にあるのだ。
 今までも、そうやって相手を無理やりねじ伏せるようにして、体得していったものが彼女には、多くある。
 自らの適正を見抜く能力にかけている、ともいえるかもしれないが、まぁ、ちょっと真似できない。
 「わたしには、パソコンは、性にあわないわ」
 そのひと言を待っている子の気持ちをつゆ知らず、彼女は右手の人差し指のみで、じっくりじっくりタイピングしてゆく。

 その姿を見ながら、そういえば、どうやって、自分はパソコンに詳しくなっていったのかなぁと、ふと思いを馳せる。
 気がつけば、簡単なものと思うようになっていたパソコン操作だけれども、確かに、少しずつ少しずつ、色んな経験の積み重ねで、ここまで来たんだよな。
 マウスは、スーパーファミコンの「マリオペイント」が最初の出逢いだったよなぁ。
 タイピングは、高校の頃、ただでもらったワープロをつかって、雑文を書いたり――それも文芸部の冊子つくりがきっかけだったかな、所蔵CD・書籍リストを作ったり、あそこで基本は覚えたんだよなぁ。
 インターネットは、大学卒業の頃、ドリームキャストではじめて覚えて――、それから一年ちょっとで、ようやくパソコンを購入して、それも最初は使い慣れなかったけれども……。

 と、数時間、ぼんやりとPCと格闘する彼女を眺めつつ教えつつ、思う。
 ようやく一枚の見積書が完成する。やたら感心する母。
 ひとまず、これでおしまい。と。安堵するわたし。
 彼女がこのフォーマットをつかって見積書を作ることが、早晩あるとは到底思えないが、まぁいい。
 教えた事柄のほぼすべてををメモに書き残して、さらに兄の本棚にあった「エクセル入門」を母に渡して、わたしは帰途についた。

 自宅に着くに早速母から電話。
 「『御見積書』ってなっているところを「請求書」ってしたいんだけれども」
 ――絶句。質問のレ、レベルが……。しかし、気力を振り絞って、返答。
 「一番上の『御見積書』ってなっている四角い枠をクリックして、字をかなで打ち込めばできるよ」
 「でも一番上に行かないよ」
 ――またまた絶句。行かないわけないだろ。てか、状況がまったくわからん。
 「いかないのかぁ、もう、それは諦めるしかないのかもしれんね」
 喉まででかかる。しかし俺が先に諦めたら負けだ。
 「十字のカーソルキーで上にもっていくか、マウスで上に持っていくかすれば、上に行くよ。後で試してみて」
 なんとか返答して電話を切る。
 と、その後で、見切れて一番上が見えないのを勘違いしているだけか?だとしたら、「マウスでスクロールバーを上方向にドラッグすれば」っていわなきゃダメか、あぁ、でも、ドラッグとかスクロールバーとかいっても、一応、前に説明したけれども、絶対わかんないだろうし、とぐるぐるする。

 彼女の闘いは、まだまだ終わっちゃいない。
 むしろこれからが本番。
 そうおもうと、ぐんなりした来た。

 諦めて白旗あげてくれ。マミー。
 俺はマミーより若いぶん、モノの覚えと頭の回転はいいけれども、マミーほどの根性はないんだよ。