大貫さんの新譜のテキストをアップ。
 いやぁ、ほんと、大貫さん、「LUCY」以降、ここ十年近く、ハズレなしだよね。てわけで、次。
 先日話しそびれた加藤登紀子さんの話。
 今回も加藤登紀子さんのファン会報 Seeds Netに書かせて頂いて(――あ、それも今日アップしました「80年代の加藤登紀子 後編」です)、で、その流れで、今までの会報やパンフレットなど数冊見せていただいて思ったのですが、加藤登紀子さんのファンは恵まれているっっ。
 こういっちゃなんだけれども、ファンクラブ運営って、けっこう殿様商売的な側面があると思うんですよね。ファンとしては一種"貢いでいる"という感覚が強く、またスタッフとしては"してやっている"という面もあったりして、そんな感じで情緒的にもたれあって成立している部分って強いと思うんですよね。が、登紀子さんのファンクラブはそういう感じじゃない。

 なんと言うかですね、ファンとのコミュニケーションがとっても密で充実しているんですよね、登紀子さん。
 最新号の会報を見ても、ゴールデンウィーク発売の新譜のレコーディング風景やら、セルフライナー、あるいは楽曲提供者の紹介などをさっそくファンに伝えているのはもちろん、歌の世界だけにとどまらず、今自身が思っていること、見た美しい風景、出会った素晴らしい人々を、ファンに惜しみなく次々と紹介している。
 それは、「わたしはいま、こんな感じでこうこう思っているけれども、あなたはいま、なにを見てなにを感じているの ?」と、加藤登紀子さんが会員に問いかけている感じがあるのね。ファンクラブの会報が登紀子発信の「登紀子倶楽部通信」とファン発信の「Seeds Net」のふたつ作られている、で、それらがすべて、ネーム主体でボリュームたっぷりってあたりが、じつに象徴的だと思う。
 で、それはなんでか、っていうと、会員を"ありがたいお得意さん"とだけみているのでなく、一個の個人としてしっかり見ているからだと思うんですよね。ファンである以前にいち人間として、あなた、どう思いますか、と登紀子さんは常に問いかけている。
 だから、もちろん会報だけでなく、登紀子さんは積極的に会員と会うイベントを設けているし、そこで行われるのは"会うのが目的の楽しいお茶会"でなく、常に会って何をするか、という目的がある。
 もちろんファンは人それぞれ。千葉の山奥で田植えなんてしたくね―よ、とか、なんで干潟を見に新潟くんだりに行かなきゃなんね―のさ、と思ってもいい。受け止め方は自由。でも「この干潟の美しい風景を見て欲しいっっ」という、それが今の加藤登紀子の心の風景、なのだ。
 ファンと歌手がそれぞれ自立していて、それなのに親交が篤いっていうのは、理想的といっていいんじゃないかなぁ。

ああ、うらやましいっっ。
 願わくば○○のファンクラブもこの半分くらい積極的にファンとコミュニケーション取ってくれれば、と思ったりもするのだが、こういうのはファンの成熟度にもよるので、他のアーティストには難しいだろうな。