バイクに乗る。 その1

午前四時半。もう外は明るい。気持ちがくさくさしているので、バイクに乗って少しだけ遠くに行ってみようと思った。
ポケットサイズの地図を片手に、国道を走る。車はほとんどない。街はまだ死んでいる。快調に飛ばす。
山がいいな。
ぼんやりと思い立ち、西、秩父の山に向かう。遠くに薄紫色に見えていた山の稜線が、近づいてくる。日高市高麗川駅の陸橋を越えたあたりで立ち止り、地図を開く。
どこへ向かおう。
「鎌北湖」
地図のはしにある小さな湖。
父はドライブが趣味だった。わたしの幼かった頃、日曜になるとよく家族を車に乗せ、秩父の山を特にさしたる目的もなく、走らせていた。鎌北湖も、確かその中で訪れたひとつだった。わたしの幼い記憶の中では、水の汚く、そのくせ土産物屋などがごちゃごちゃとして、そこに深い緑がうっそうと絡まり、周囲は暗く――つまりは、あまり印象のよくない湖だった。
それから20年以上経ち、はたしてどうだろう。
わたしは県道を左に曲がり、「歓迎 鎌北湖」とある看板をくぐった。


午前五時半。鎌北湖には以外にも多くの人が訪れていた。そのほとんどが釣り人である。へらぶな釣りで有名なのだそうだ。湖の周りをめぐる1.5車線の細い道から小さな階段が下の湖面にのびていて、湖水ぎりぎりにある木や鉄パイプで作られた簡素なしつらえへと続いている。大きな大人2、3人乗るのが精一杯というそれが、湖の各所に作られている。そこで釣り人はそこで釣り糸を垂れる。
鎌北湖は農業用水用につくられた人口湖であるので、湖の周りは、どこも断崖であり、人が佇めるような自然の岸辺はない。アスファルトの道路も断崖にへばりつくような作られている。その狭い平地に建物が建っているのだが、それらの多くが廃屋である。元は食堂や土産物屋といったものだったのだろうが、使われなくなくなって10年近く経過しているだろうものも多い。

鎌北湖は寂れていた。
確か当時はここから麓の東武の駅を結ぶバスが出ていたはずだったが、それも廃止になったようだ。痕跡はひとつもない。さらに湖のランドマークともなっているぎりぎりまで湖畔にせり出した三階建ての大きな建物、これは旅館の跡なのだろうが、ここもまた無惨な廃屋と化している。
バイクでぎりぎりまで近づいてみる。割れたガラス、崩れた道路の法面、剥きだしのコンクリートにかかれた暴走族の落書き、まさしく廃墟然とした廃墟だ。
後日、家に帰って調べると山水荘、「イノブタ料理」で有名な旅館の残骸なのだそうだ。鎌北湖といえばイコール、イノブタ料理、かつての埼玉西部住民なら、その多くが知っていることだったが、そうか、潰れていたのか。正丸峠のジンギスカン料理は、健在なのだろうか。
わたしは、旅館跡地の錆びた柵から湖面を覗いた。
やはり水は濁った緑色で汚い。そこに大きな錦鯉が一匹、のっそりと泳いでいた。
わたしの実家の愛媛には、こういうため池が平野部の中にも里山の中にも、いくらでもある。
しかも山間にあるため池の、その多くが、この鎌北湖よりも、大きく、美しく、森閑としている。水は深い群青色で透き通っていて、白鷺が大きく翼を広げ湖面から飛び立ったり、池の端で小さな亀が昼寝をしたりしている。人は誰もいない。時折通る農作業の軽トラックが通るくらいだ。

鎌北湖は「乙女の湖」という別名があるという。かつてはこの湖もその名に恥じない美しさがあったのだろうか。老いの寂しさに近いような感慨を、ふと、わたしは感じた。

思いの外長くなったので、続く。