復帰

皆さんお元気でしょうか? まこりんです。二週間近く病に臥せっておりました。
しんどかったよぉっ。
なんかさぁ、五月は頑張るとかいっていたのに、なんなんだろうね自分、と、ぼやきつつ、キーボード打っております。
体のほうはなんとか復調しまして、さぁサクサクと書きまくるか、というところなんですが、いやぁ、困ったモノで、ここまでブランクがあると思考回路がが鈍っているという感じで、言葉がなかなかスムーズに出てこない。
リハビリ的に軽いものから攻めていこうかな、なんて思っております。
「うー、あをっ」
気合を入れてさてさて、筆ならしに最近読んだ本の感想的なものなんかをぽちぽちと……。

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

夏目漱石夢十夜

文豪としてあまりにも高名過ぎるので、今まであえて避けていたけれども、いいかげん思春期みたいな安い反骨はやめようよ、と、
タイトルが素敵なこれを読んでみた。驚いた。夏目漱石って、こういうのも書く人だったんだ。
幻想小説?不条理小説?
「こんな夢を見た」という書き出しから、夢の不条理が断片としてそのまま10作と言う、だから「夢十夜」と。
何万匹もの豚が「私」の鼻を舐めるためだけに突進してくる第十夜(テーマ曲は「空からブタが降ってくる」だな)はナンセンスっぷりが素敵。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」といって事切れた妻を待ちつづける「わたし」を描いた第一夜、これは文章が磨きこまれてとにかく美麗、ほれぼれする。
ど直球ホラーな第三夜もなかなか。傑作です。

桃 (中公文庫)

桃 (中公文庫)

久世光彦 「桃」

これが実に著者初の短編集、って、ええっ、そうなん?
「蝶とヒトラー」とか「恐い絵」とか「昭和幻燈館」って、エッセイという態を装った短編小説集だよね。
というわけで、久しぶりに久世光彦の趣味全開のあやし耽美の世界。
いまのきわで「陛下、陛下」と呟いた父のひみつ「尼港の桃」は、長編「陛下」の世界だし、
廃墟に住む年老いた豆本作家と二匹の猫の暮らし(「囁きの猫」)は「聖なる春」路線、女語りの「いけない指」のこそばゆさは「謎の母」に通じるし、
足ぬけした遊女ふたりの粋で滑稽な偽遍路「同行二人」は彼の演出した「危険なふたり」や「自由な女神たち」のよう。
どれも好ましい作品ばかりだけれども、表題作「桃――お葉の匂い」のが白眉。これだよ、これ。
これは久世光彦による「ツィゴイネルワイゼン」( 映画のね )だね。死者たちのつかのまの宴。
女衒で始末屋の主人公清蔵が、本当、悪い奴。素敵。女殺しだね。久世光彦は酷薄な男語り小説が一番面白いと私は思う。



赤江瀑 「遠臣たちの翼」

耽美派芸道小説?
世阿弥に魅せられた表現者たちの辿った数奇なる美と破滅の光芒――っていうとなんか本の帯みたいですよね。
赤江さんの本、何十冊と読んでいて今更言うのもなんだけれども、この人の話、やっぱようわからない。
文の巧みさ、華麗さに魅せられて読んじゃうんだけれども、読後の印象がわりとおんなじというか、
赤江さん、本当に若い男の肉体が大好きなんですね、というか。とにかく「うほっ」的なところ以外に訴求する部分が、わからんよ。
私が芸術家でないからいけないの? それともわたしがオチを求めているから?


木原敏江 「千歳の再会」

大正浪漫探偵譚シリーズの最終巻。
木原敏江の最大の武器である安定感だけが光りまくるこのシリーズ、最後も相変わらずの横綱相撲であった。
ぶっちゃけていえば読む前と読んだ後の印象はなにひとつかわらず、漫画に「なにか」を求めているオタク層には訴求しない作品なのであるが、そんなことは描いている木原敏江自身が一番よく知っていることなのだろう。
レディース誌で作家性出されてもね。これは土ワイや火サスを楽しむ感覚で、いいのだ。
こういう作家として極めて「大人」な姿勢を一貫して守りつづけたのが、まさしく木原敏江であった。

ふるふる -うたの旅日記- (KCデラックス)

ふるふる -うたの旅日記- (KCデラックス)

木原敏江 「ふるふる」

ままま、まりしんだっ。
摩利みたいな遊芸人・活流と新吾みたいな修行僧・日古が、仲良く喧嘩しつついちゃいちゃしつつ諸国漫遊していて私はとっても幸せでした。
つまりホモが出てて来ればそれでいいんじゃねーか、自分。はい、そうです。
腐女子系クリエイターって、結局一つのカップリング(=関係性)しか描けなかったりするもので、
そして読み手もまたそれを一番求めているわけで、つまり、ずっとドジ様はまりしんしていればいいと思うよ?

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)

川上弘美 「蛇を踏む」

芥川賞受賞作品「蛇を踏む」をはじめ「消える」「惜夜記」を収録。
――って、これ気違い小説やん。たんたんととち狂っていて、乾いている。
この作品から意味を探ろうとする行為は、多分無駄だ。
「蛇」がなんの暗喩であるのか。なぜ「家族」は消えるのか。「少女」とは。
その思索は、狂人の日記に意味を見出すようなものだと僕は思う。
若い女性の自立と孤独を描いた」(解説より)? 馬鹿げている。
意味なんてものはこの作品にはなにひとつ、ない。
ただ、読みつづけているうちに溶解していく現実感、それを味わえばいいだけなのだ。だから僕はこの作品が好きだ。
川上弘美が狂人であることはこの一冊で証明された。
ただひとつ、川上弘美がただの狂人と違うところがある。それはなんというか、ある面においては世間様と折り合いついてそうな、そんな狂人なのである。
隣近所に住んでいても、迷惑かけられそうにもない感じというか、玄関先でばったり顔を合わせても軽い挨拶とか出来そうな、週代わりのゴミ集積場の掃除とかちゃんとやってくれそうな、話の通じる狂人さんなのである。
「惜夜記」は、夏目漱石の「夢十夜」、吾妻ひでおの「不条理日記」に比肩しうる不条理小説。傑作。

神様 (中公文庫)

神様 (中公文庫)

川上弘美「神様」

彼女のデビュー作であるタイトル作を含む連作短編。Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。
谷山浩子が数年前、この作品原作のラジオドラマをやっていたらしい、谷山浩子の「神様」という歌はそのテーマらしい、という前情報だけで読んでみる。
童話だな、これは。質のいい童話。
クマと一緒に川に遊びにでかけたり、梨畑に住む白くてふわふわしてよくわからない生き物の世話をしたり、お寺の池の中で河童の夫婦の相談を受けたり、花の広がる原っぱで叔父の幽霊と最後の午餐したり、
壷の中で生きる「コスミスミコ」なる小人とくだらないコイバナでもりあがったり、人魚に憑りつかれたり、「猫屋」のおばあちゃんの不思議な恋の話を聞いたり、そんなこんなのわたしの少し不思議な日常、という感じ。
不思議なものが不思議なものとしてそこにある、なんであるのかどうしてあるのかまったくわからないけれども、あるんだから仕方ない、という受容の仕方が、この作家さんの特徴なんだろうな。
谷山浩子の書くファンタジー小説のようなあじわい。面白いし、けっこう万人向けでもある。おすすめ。

おめでとう (文春文庫)

おめでとう (文春文庫)

川上弘美 「おめでとう」

恋愛掌編12作を収録。
不条理系を期待していたので恋愛話には少々肩透かしだったけれども、これもまたいい。
川上弘美の会話体は、とにかく色っぽい。
日常の中にある些細な会話、それがめっぽう色っぽいのだ。
絶妙にずれたり、唐突に斬りこんだり、斬りこまれたり、言葉にならないところだけが空気のようになんとなく漂ったり、そんな人との会話の妙、それは人と人との淡いえにしの妙そのものなわけだけれども、それがあまりにも生々しく文章で表現されている。
そこに確かに「人」がいるのだ。
そんな彼女の会話体のすばらしさは、恋愛小説でこそ発揮されるのだろうな。人肌をやたらに感じる短編集でした。
「神様」にでてくる壷に棲む妖怪「コスミスミコ」みたいな頼りのない幽霊モモイさんが可愛い「どうにもこうにも」、
桜のうろに棲みついてしまった彼と私の運命の恋を描いた「運命の恋人」、このあたりが私の趣味。
それにしてもこの人、ホモはでないけれどもレズはさらりとでてくるのな。「いまだ覚めず」「春の虫」とか、フツーにレズでびびった。いわゆる女学生的なあわあわとしたレズ話が好きな人も、どうぞ。

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

川上弘美センセイの鞄


最近知ったひとつの事実。

Q.女が男性社会で成功するにはどうすればいいのか。
A.ファザコンになればいい。

つうわけで、今日は、ファザコン小説のコレ。おっさん受けメガマックスな小説でありやす。
谷崎潤一郎賞受賞。小泉今日子でドラマにもなったし、沢田研二で舞台にもなった。彼女の代表作。
わたしはちょっと趣味じゃなかった。
川上弘美らしい、淡淡として温かみのある文体は相変わらずいいし、作品に漂う空気もいいんだけれども、
メインテーマであろうセンセイとワタシの恋の道行きがぶっちゃけ、どうでも良かった。
「老いらくの恋」にピンと来るかどうかってのがこの作品に入りこめるかどうかの分水嶺なような気がする。
ショーミなところ、「純文学」なんてモノを読む層ってのは、「文学部在籍です」みたいな若いお嬢さんか、文学青年崩れのおっさんしかいないと、わたし、思うのですね。
だからまぁ、純文マーケット的には、この作品、ドンピシャリなわけだけれども、まんま、こういうのが代表作となるのは、私ちょっと淋しいです。
てわけで、若い娘ッコが好きなおっさんとファザコン気味のお嬢さんは、読めばいいと思うよ。