私の住んでいた小さな街には、街道沿いに西から東にむかって蛇行しながらゆっくりと流れるそこそこの大きさの川があった。その川は子供だった私たちの格好の遊び場だった。
わたしたちは、近所の駄菓子屋で買ったよっちゃん烏賊でザリガニを釣ったり、農業用水の流れこむコンクリートのスロープを滑り台にして遊んだり、友達同士で水の中へ落しあったり、繁みに潜むを見つけアオダイショウに逃げまわったり、した。
東京近郊のベッドタウンに流れる、決して綺麗とはいえない川だったが、わたしたちにとってはそこが一番の場所だった。
小学校にあがってしばらくたった夏、台風が街にやってきた。ほとんど自然のままの形を残していたその川の堤防はあっけなく決壊し、街は水浸しになった。わたしは家の二階の窓から、激しい濁流となった通りを驚きながら見つめていた。それからまたしばらく、隣の校区の小学生が川で溺れ死んだと言う話を聞いた。
大人達が集まり、そして川の護岸工事が始まった。際立った蛇行は直線へと切り替え、川の両岸はすべてコンクリートで固め、防護フェンスまで設置された。川のほとりにあった柳もことごとく切り倒されたし、欄干のない古い木橋は歩道と車道の分れた立派なコンクリート橋になった。その川に注ぎ込む細い流れにいたっては上からコンクリートの蓋が被せられ、場所すらもわからなくなってしまった。川岸の、秘密の抜け道、秘密の遊び場、それらはすべてなくなっていた。
しかし私たちはちっとも淋しくなかった。その頃になると、私たちは大ブームになっていたファミコンに夢中になっていて、川に遊びに行くこともなくなっていたからだ。味気なくなった水辺の風景に、切なさを感じるには私はまだ子供であった。
夏。緑深い渓谷に訪れると、子供たちの無邪気な歓声が聞こえてくるところも多い。少しばかり田舎に行けば、今でもこうした風景は残っている。存分に楽しむがいい。もう若くはなくなってしまった私は眼を細める。