須和雪里「サミア」

 久しぶりにJuneを読んでみようと思った。小説道場門弟時代の須和作品。93年、角川ルビー文庫。初出はもちろん小説JUNE。
 山奥で家族といっしょに暮らしている平凡な男子高校生の前に突然現れた金髪の超絶美青年、彼は自分をエイリアンだという、そして自分は彼にとって運命であるという――ってこれ絶対元ネタは「海のアリア」だよね。
 エイリアンの美青年が、平凡な男子学生である主人公に物凄い勢いでアプローチしまくる、なんだ一体なに目的なんだ「いや、君の存在自体が僕の目的なんだよ」っていう。んでその目的をよくよく聞くとSF入ってます、っていう。と、そこまでは「海のアリア」だからいいとして、ラストの急展開、いきなり主人公がエイリアンの彼と寝た後に心中気分になるのがどうにもうすっぺらく感じた。
 田舎暮らしのなにに不自由するも、なにに屈折するともない純朴で健全な少年がいきなり心中しようと決意するにはあまりにもリアリテイーが足りてないのだ。Juneだからラストはやっぱり心中だよね、というテンプレ臭が――といったら言い過ぎだろうか。
 続けて収録作「影法師が泣いている」「暗珠」と読んだが、どうにも乗りきれない。
 「影法師が泣いている」は、幽霊である「わたし」の、人をひとり殺し悪霊にまでさせながらも、最後までどこか他人事めいてて、きちんと相手と向かい合わないのにイライラとさせられたし、「暗珠」は逆に死ぬの生きるの愛してるの愛していないのの応酬ばかりでなんだかひどく息苦しく、また陳腐にも感じた。
 そんな七面倒なことばかり考えてないでさ、好きな人を抱きしめればそれで終わりじゃない、なんでそれが出来ないの。
愛したいのに愛せない。それはこの世の中ままあることだけれども、その悲しさとおかしさをこれらの作品に感じたかというとそうではなかった、
 それよりなにより、ここにある逡巡や臆病や保身が、今のわたしにはひどくつまらないものに感じる。
 もう私はJuneを必要としていないのかなぁ。
 例えばこれを、高校生の頃読んでいたら、私は感動していたのだろうか。よくわからない。