服を捨てる

 着道楽というわけでもないけれども、成人するとさして体形が変わるわけではなく、とはいえなんとなく立ち寄った店で安かったから気に入ったからなどと衣服なんぞを買っていくわけで、とはいえ、服を着潰す、というのはなかなか難しいわけで。
 案外、靴は履き潰してしまえる。下着類や靴下もそうだ。ダメージを受けやすいものは、使えなくなった時がすなわち捨てる時――で、案外うまくまわっていく。汗を吸う機会が多く、よって洗濯する機会の多い夏服の類も、それなりに回る。
 問題なのは秋冬向けの服なのだ。使えないと見た目でわかるほどなかなか傷まない。
と、これは自然と服が増えていくのは道理なのである。かてて加えてわたしは冬服が好きなのだ。

 先日、冬服をダンボールや押入れの奥から、引っぱりだして衣替えをした。ついでにこたつもストーブもセッティングして完全冬武装にした。と、そこで、お気に入りの「これは今年も着まくりたい」というコートをカバーを外して、クローゼットのいいところにセッティングしたわけだが、ロングコートが四着、ハーフコートが三着。――はっきり云って、こんなにいらない。毎日とっかえひっかえで、一週間で着まわせるではないか。
 しかも取り出しにくい奥には、これよりも多くのコート、ダウンジャケットの類が眠っている。もちろんジャケット代わりになる厚手のセーター類もたくさんあるぜっっ。……どうかしている。
 はっきり云って私はぜんぜんお洒落じゃない、服屋をひっきりなしに通いつめることなんてしないし、コートにしたって、ポケットに入れた財布や鍵やメモ帳やら諸々を移すのが面倒くさくなって、同じのを一週間着倒すのが普通だったりするほどだらしないのだ。
しかし、昨今の衣料品の価格破壊の恩恵で、わが部屋の衣服は完全に供給過剰に陥っていたのである。嗚呼、これは中国の罠か。
 ――というわけで、捨てることにした。「着ようと思えば着られる」「部屋着にすれば」という消極的な理由によって残されていた服たちに、骨太の改革だあっっ。
そもそも着たいと思えない服は、絶対着ないのだぁぁァァ。
 「これ買ったの、高校の頃だよな」みたいな、明らかに「はずれを購入」→「着ない」→「そのまま埋もれる」といったものも処分。結果、たくさんのゴミが出来ましたとさ。
 それにしても、こういう、多少なりとも使えるものを捨てるという行為に気まずさを感じるわたしは、やっぱり貧乏臭い日本人なのだなぁ。