梨木香歩「西の魔女が死んだ」

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

 昨年映画化して話題にもなった作品。いじめで不登校になった中学生の女の子が田舎のおばぁちゃん家のスローライフで自分を取り戻しましたよって話。いい話で丁寧に作ってあるのは確かなんだけれども、あんまり共感できなかった。
 ここにあるのは、実際の人の世界ではない。「かくあるべき」という理想で掃き清められた、ファンタジーの世界だ。こんな田舎も、こんなおばぁちゃんも、こんな中学生も、この世にはない。少なくともわたしの認識する世界には、いない。
 いじめで不登校になる子は、こんなにまっすぐに大人の言いつけを守ったり、あるいは大人とぶつかったりはしない。もっと面倒で小難しくって嘘つきで卑怯で始末に終えないものだ。田舎のおばぁちゃんだって、こんなにおしゃれで、物分りがよくもない。もっと老獪で、頑迷で、ダサくって、どうにもならないものだ。
 そんないい部分だけでない悪い部分も含めた生きた人の気配がないから、ああ、これは嘘の世界なんだと思うしかない。んで、何事も自分で判断しろとか規則正しい生活をしろとか一日の計画を立てろとか、ごもっともな説教されても、ああ、もう、どうでもいわ、と鼻白んでしまう。フィクションの形をとった正論好きのナチュラリストの説教としかうけとれなかった。
 田んぼと畑と山しかない片田舎を、失われつつあるこの世のユートピアとするような価値観って、あまっちょろいと、わたしは感じる。
 田舎って、素敵な部分があるのはもちろんだけれども、それ以上に不便で、面倒くさいもの。自然が街よりも近くに感じるのは確かだけれども、その分、その威力がこちらに向いた時の恐ろしさはハンパないし、人間同士の距離が街よりも近いのもまた確かだけれども、その分、関係の糸は濃密に複雑に絡まりあい、トラブルになった時の陰惨さというのは目も当てられない。
 そういった負の部分をまったくなかったことにするのは、実際に「田舎」を持たない根っからの都会暮らしの人のご都合主義に思える。
 大島弓子に「青い固い渋い」という短編がある。田舎のスローライフに憧れた都会暮らしの一組の男女が、理想を追い求めて実際に田舎暮らしをはじめたはいいものの、自然の圧倒的な力と田舎の濃密で排他的な人間関係にボロボロになり、ふたりの関係すらも破綻しかけるものの、またやり直しはじめる、という話。わたしはこちらの方が、スローライフを真摯に求める者を描いた手ごたえのある話だなと感じた。
 こういうメレンゲのようになめらかで口当たりがいい「エコロジー」幻想を子供向けの情操教育として、あるいは若い女性向けの癒しとして消費する傾向って、わたしは嫌いだ。女子供向けなんだから、綺麗なところだけを表現すればいいというのは、大きな間違いだとわたしは思う。
 もちろんこれはわたしの勝手な価値観なので、ここに描かれた癒しの森にうっとりと眼を細める人をとがめたりなんてことはしませんがね。それはなにも罪のない行為なのだから。