唐沢俊一 「トンデモ美少年の世界」

「まこ、グッジョブ!!」
 先日、栗本薫ファンの友人に唐突にいわれた。
唐沢俊一栗本薫を読むべきだ」のテキストがよかったというのである。
 彼女、唐沢俊一に対して否定的なようだ。
「ねぇ、唐沢俊一が『昭和ニッポン怪人伝』って作品でジュリーについて語っているから、それも読んで、感想書いてよ」
 彼女は私がジュリーファンということも知っている。
「なんでよ、また適当なことかいてるだけでしょ」
「だから読んでほしいの」
 私も、盗作騒動での彼の行動で否定的な感情を持つようになったひとりだけれども、なんでそんなアンチめいた活動をしなくちゃならないんだ、まったく。
 とはいえ数少ない友人からのオファーなので探してみる、が、その本、図書館にも古本屋にも見当たらない。新刊で買う――のは、無・理。お金MOTTAINAI。というわけで代わりに「トンデモ美少年の世界」(97年/光文社文庫)という「JUNE」で90年代中頃に連載していたコラムをまとめた一冊を手にする。これでいいだろう、友人よ。


もういい加減最近やおい本ばっか読んでてうんざりしてるんですけれども、と、倦怠気味に読み始めて瞠目、ちょっとこれ、ネタの宝庫ですやん。どういうことよ。
 ひとまずJUNEで連載していたのにもかかわらず、JUNE・やおい・BL文化に関わることはほとんどテーマになっていないのが驚く。90年代中期という時点で、萩尾望都竹宮恵子といった24年組作家も、森茉莉栗本薫といったJUNE小説の先達も、榊原史保美吉原理恵子といった初期JUNEを盛り上げた作家たちも、江森備秋月こおといった小説道場出身作家も、高河ゆん尾崎南山藍紫姫子といった90年代初頭に同人ブームで名を挙げ商業転向した作家たちも、「星矢」「キャプ翼」「シュラト」「幽白」「スラダン」といったパロ同人において一大ムーブメントを築きあげたアニメ・漫画作品も、まったく彼は触れようとしない。はたしてこれらをまったく扱わないで、やおいについて語れるのか。ほとんど「残像に口紅を」だ、語れるわけないのである。
 では、なにについて彼は語っているのか。
 三島由紀夫のヌード写真が掲載された「血と薔薇」を、戦後直後に出版された同性愛の告白本「メモワール」を、60年代のゲイボーイの実態を取り上げた雑誌「ゲイ」を、13歳の少年の射精の瞬間を収めた写真集「少年期ハードスペシャル」を、10歳前後の少年がレイプされている洋モノの裏ビデオを、70年代後半のミニコミブームにあった男性向け少年愛誌「少年」を、語るのである。マジモノのゲイの、とくにペドフィリアの世界を、ねちっこく、唐沢本人の性欲の生臭さを漂わせながら、語るのである。「未成年の男の子を犯してみてぇぇぇ」文章から声なき彼の叫びが聞こえてくるようだ。唐沢俊一の、13歳の少年のエロ写真を執拗に追いつづけて、最終的には彼の射精の瞬間の修正前の生写真を手に入れるくだりを読んだ時に、わたしは思わず大声で叫んでしまった。「きんめぇぇぇーーーーーっっ」
 この本を読む限り、彼は、真性の少年愛者としか思えない(まぁ、成人女性も好きなようなのでバイセクシャルなのかもしれないけれども、これで私はホモではないというてるのだから、頭が痛い、なんだその今お前が手にしている生写真はっ。え、ゲイでなくペドだから違う? むしろそっちの方が問題だろうが。ゲイは別に犯罪じゃないからお好きなようにでいいけど、ペドはダメ、ぜったい、だよ)。
 何故、栗本薫をさして知らずに彼が嫌ったのか、その疑問はここであっけなく氷解した。「ゲイは腐女子が嫌い」。ただそれだけのことだったのだ。(――と、ここを件の友人からツッコミがはいった。違うよ。そこは「キモオタは腐女子が嫌い」だよ。って、えぇい。どっちでもいいわいっ!)


 まぁ、それはいい。彼が少年愛者でもなんでも、犯罪を犯さなければそれでいい。が、そのスタンスで知ったように「JUNEっ子はこういうが好きでしょ」と、あるいは「JUNEはかくあるべし」と、ぴんぼけな看破やら啓蒙やら読者にむけるのにはさすがに苦笑いを禁じえない。全然ちがいますよ、唐沢さん。普通のやおらーはあなたのように少年のアナルやペニスをねらってませんから。しゃぶったりしゃぶられたり、入れたり出したりしたがってませんから。そういう彼のとんちんかんぶりを笑うには、楽しいネタ本なのかも知れない。
 おかしい点、トンデモな点をいちいちあげつらうには盛りだくさん過ぎるので、ひとつだけ一番間抜けなのを紹介する。
 「悶え苦しむ美少年地獄の映画館」の回の唐沢の語る映画「ベニスに死す」ラストシーンの、「お前今すぐトーマス・マンビスコンティーに土下座しろ」とでもいいたくなる、どうすればそんな解釈ができるんだというお馬鹿でトンデモっぷりも素敵だが、やっぱれこれ、わざわざ2回にも分けた大力作「セピア色の解剖」の回。
 1953年に出版された同性愛の告白文集「MEMOIRE」に収められた星野英夫なる者の手による「少年時代」と題された、自らが旧制中学時代に体験したとされる性的いじめ「解剖」の話を大幅に引用して、唐沢が語っているのだが、その体験談というのが、どう考えてもペドのセンズリ用妄想を文章化したとしか思えない。
 ねちっこく精液臭い描写を逐一無駄に引用してうんざりするので(――単なる紙数稼ぎか、あるいはこの文章にびんびんに興奮して我を忘れたのか。おそらくどっちもだろうな)、概要だけ書く。
 プールの裏手で悪いクラスメート数人に捕まって裸に剥かれたよ→それだけであきたらず、しごかれて、フェラチオもされて、強制射精されたよ→アナルセックスされそうになったら、見かねた親友が助け舟を出したよ「俺が身代わりになる。俺のアナルを使え」→親友は奥の野球小屋でひとりずつ順番にレイプされたよ、そんな親友のレイプされてる時の姿はなんだか可愛かったよ→赤裸々な姿を見せ合ったふたりはそして親友から恋人へと発展したよ→おしまい
 よしんば事実なら、凄惨な性犯罪。とはいえ99%の確率で妄想と即断できるこの与太に、唐沢はこうコメントしている。
「……しかし、単なる解剖でなく、その後アナルセックス(しかも輪姦!)までごく普通に行われていたなんて、昔の中学生は進んでいたんだねぇ」
 進んでいたんだねぇ……じゃねぇだろっ、おい。あ・り・え・な・い。まるっきり信じてやがる、こいつ。どう読んでも「だったら俺のアナルを」が超展開すぎるだろ、くそみそすぎるだろ。ホモの妄想与太話でないほうがおかしいだろ。さらに、こうも云っている。
「文章の心得のある読者なら、このシーンのこの設定で耽美小説が一本書けるだろう」
 耽・美・小・説・を・な・め・ん・な。そしてこんなふざけたまとめ方をしている。
「いい年齢になってからの大人の性のねじれが問題になるのは、少年時代のこのような通過儀礼を体験できない情況に原因がある」
 えぇぇっっーー!? つまり、ちゃんとした大人になるために少年はレイプの被害者になるべしってこと? なにそのトンデモレイプ推奨理論。唐沢、あんたがペドフィリアのハンターとして活動するにはその方がいいかもしらんがだね、そんな世界は、未来永劫絶対訪れないぞ。
 もうね、とほほがすぎる。なにか、もう、この方は、純粋に電波さんなのかな、と。


 ところで、こんなことも云っている。
やおい小説に男性ファンが多いのも、それ(――手記のような少年姦)を追体験したいからなのでは」
 やおいに男性ファンか多いってのは、初耳だなあ。わたし、一般書店でも、「まんだらけ」のような漫画専門店でも、コミケなどの同人誌即売会でも、いわゆる女性向のやおい作品コーナーに男性客が大勢群がっているところ、全然見たことないんですけど。せいぜい最近少しは見かけるな、程度ですけれども。唐沢俊一の言う「やおい」って、わたしや世間の判断する「やおい」と違うんだろうな、きっと。そうとしか考えられない。唐沢さんの世界の「やおい」は、三次元の少年を犯したいけどできないペドフィリアの代用品なんだろうな。うん。
 と、まあ、こんな感じで、他にもとほほで頭痛いテキストがいっぱいあるので、ヘンテコな人をウォッチしたい人でやおいに詳しいなら、読んでみるといいと思うよ。え、わたし? わたしはもう、うんざりです。おなかいっぱい。
 それにしても、本当、どう考えても不思議なんだけれども、なんでこんなトンデモ物件が、「と学会」にいるんだろう。唐沢俊一はどう考えてもバードウォッチする人でなく、ウォッチされる鳥だろうよ。