「選別の中のロマン革命――中島梓・栗本薫論」は読んだ方がいいよ

 基本、自分のことを頭がいいとも、文章が上手いとも思っていないし、読み手の気楽さのなかにありたいと思っているので、書かなくって済むなら、それに越したことはないかなと思っている。
 なのに、なんで書くのか。それはもう単純に、自分が読みたいと思っているものがないから、それにつきるわけで、だから「自分が読みたいもの」というハードルをクリアしない限りは、自分にとっての書く意味はないわけで、とはいえ、そのハードルをクリアするのはスペックの低い自分にとっては並大抵のことでないわけで。
 ――そんなこんなで最近は「私にとっての栗本薫中島梓」でなく、客観的に「栗本薫中島梓」という作家についてきちんと書きたいなぁ、でもできないなあ、と、もやっとしていた。涙に濡れたり怒りに震えたり、みずからの感情によって彼女を語るテキストはたくさん読んだし自分も書いたけれども、そうじゃないのがほしかったのだ。
 というところに、このテキストは、とブログのコメントで紹介された。


 http://noririn414.g.hatena.ne.jp/ending/
「選別の中のロマン革命――中島梓栗本薫論」


 彼女のふたつのデビュー作「ぼくらの時代」、「文学の輪郭」を支点にして、彼女の、時代の、文学の、それまでとそれからがきちんと真正面から評論されている。凄いっ。素敵っ。天才っ。
 栗本薫中島梓が、当時の、どのような文学思潮、時代背景によって見出されていったのか。また彼女は現代から文学から、何を見出し、何を表現しようとし、挫折していったのか。栗本薫中島梓なるものは、いかなる作家であったか。彼女のしめした可能性と時代の予兆。そしてその後の彼女の迷いこんでしまった、しかし必然でもあった樹海。それらがきちんと冷静に分析されている。もちろん著者への愛もオマージュもある。
 と、これらは「YMOコンプレックス」(――この本も好き)の著者の円堂都司昭さんの文章。こういうのを待ってたのですっ。これでわたしの書く意味はなくなったね。うん。よかったよかった。
 てわけで、栗本薫中島梓をよりよく知りたい人は、読んだほうがいいと思うよ。