追悼 平岡正明

 最近訃報ばかりだ。平岡正明が亡くなったらしい。九日に亡くなり、十三日に葬儀があったことを今さっき知った。
 最初に彼の文章を読んだのは「ミュージックマガジン」に掲載された「たぶん、これが明菜の深層心理」だ。古本屋にあった中森明菜のイラストだった「ミュージックマガジン」のバックナンバーをなんとなく手にして、目を通しておよそ生理的に反発、「なんじゃこりゃぁっ!」となったのがファーストコンタクトだったと思う。
 それがわたしが高校生の頃で、その時は露骨に悪感情を持ったのだけれども、なんとなく忘れがたかった。他の「評論」とよばれるものには決してない――論理ではなく、文体としての抗いがたい魅力をそこに感じたからかもしれない。
 彼の、すべてを押し流す土石流のごとき妄言と暴論の奔流、そして時々やらかすお茶目な勘違い、これは評論ではなくファンタジーなんだ。そう気づいた時には、彼の著作を何冊か読了したあとだった。
 とはいえ左翼運動家としての彼をわたしはよく理解できなかったので、彼の歌謡評論しか親しむことはなかったけれども、それでもおそらく私が文体において最も影響を受けたのは、平岡正明の歌謡評論と中島梓のエッセイなんじゃないかなと思う(――だから私の文章が妄想まみれで、牽強付会で、思いこみが激しいのは、致し方ないことなのである、嗚呼)。
 彼は九六年に中森明菜三波春夫の本を上梓して以来、積極的に歌謡評論に携ることはなくなっていったけれども、それでも私にとってはリスペクトするひとりだったことにかわりはなく、五月には「中森明菜 歌姫の軌跡」を平凡社気付で進呈したけれども、間に合わなかったのかなぁ、それがほんのちょっとだけ残念だ。
 私が読んだ彼の本の中で一番好きなのは「山口百恵は菩薩である」。対象への愛が一番溢れているのがやっぱりこの本だったんじゃないかなあと思う。彼が歌謡評論でひとりのアーティストの全作品をつぶさに調べあげるという作業をしたのは、私が知る限り山口百恵だけだ。